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「リチャード・ジュエル」監督クリント・イーストウッド at TOHOシネマズ西宮OS

www.imdb.com 1996年アトランタ五輪の爆弾テロ事件を「事実に基づいて」描く。

 イーストウッドの史実ものはそっくりさんショーでもなければ再現フィルムでも無い。そこにしっかりと彼ならではの解釈が練り込まれるのは自明である。

 本作の見どころとしては救世主に祭り上げられたのにマスコミの記事によってテロリストへと書き換えられてしまった男リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)のキャラクターを綿密に描いているところである。ちょっとユルいところのある、コンプレックスに苛まれている男。法執行官という字幕になっているがもうちょっと単純に「お巡りさんになりたい男」のようだ。気は優しくて几帳面、融通は利かない。空気を読まない(読めない)ところがエスタブリッシュメント層には疎まれる。この性格が災いに転じてしまう、という展開である。

 が、映画として歪なのは彼を貶める新聞記者キャシー(オリビア・ワイルド)は悪目立ちが過ぎる女狐タイプ、キャシーに情報を漏らすFBI捜査官(ジョン・ハム)がさほど賢く無い、と複雑さのかけらも無いワルであるという点。どうにも人物造形のバランスが悪いのだ。キャシーが自らの報道の間違いに気が付き、ジュエルの母親(キャシー・ベイツ)の演説に涙する懺悔的なシーンは付け足し感が否めない。本物のキャシー記者がこの事件の5年後に亡くなっている「複雑さ」にイーストウッドは興味を示さない。あるいは、爆破事件の舞台となったコンサート会場にいた黒人の母と娘が執拗に写真を撮っている伏線めいたシークエンスが後半回収されない。想像だが撮られた写真に真犯人もしくはリチャードが写り込んでいてそれが無罪の証拠となる、というシークエンスを切ってしまったのではなかろうか。

 事ほど左様に今作のイーストウッドは多様な人格を俯瞰で描く事を捨てて、リチャード・ジュエルに寄り添い同情する。スジ運びの巧さは流石だが。

FBIに謝罪を求める本物のジュエル氏。ポール・ウォルター・ハウザーのなりきりぶりが裏付けられる。

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「パラサイト 半地下の家族」監督ポン・ジュノ at TOHOシネマズ西宮OS

www.imdb.com 昨年度カンヌのパルムドールポン・ジュノは名実ともに世界トップクラスの監督となった。本作は予備知識無しで観た方が断然面白く、細かく散りばめられた伏線を楽しむのが製作者の本望だろうからここでは曖昧に書く。先に言っておくと滅法面白い、素晴らしい脚本である。半地下の棲家というのは韓国に限らずヨーロッパでも見かける。半地下に住む貧しい一家、父(ソン・ガンホ)は事業に失敗、母も娘も失業、息子は大学受験に失敗、勿論職がない。韓国はどうやら相当な就職難である事が分かる。父の失敗した台湾カステラ店営業というのは、後半もう一人の重要な登場人物も同じ目に合っているという設定になっている。検索してみたら、こういう事らしい↓

www.excite.co.jpなるほど、企業の杜撰な運営の犠牲になったという事か。

 さて、長男がひょんなきっかけである富豪の家の娘の家庭教師になる事から物語は始まる。映画を観終わってから資料で知るが、半地下の家もこの富豪の家もセットだという。日本ではまず考えられない。こんなセットを組める予算など絶対無い。断言する。 で、この富豪の家に家族ごと寄生して行く事を計画して実行する長男。まんまと乗せられてしまうこの家の夫人の白痴的イノセントも然もありなんな演出。こういう人いる。一家丸ごと寄生に成功したところで物語は反転して行く。大雨の日のインターフォンに映ったあの画像の造形の凝り様に唸る。この先は書かないが、階層による断絶を滑稽に描いてはいるが、それが決して分かり合えないであろう事を示唆するクライマックス。茹でガエルな隣の国とは違うこの韓国社会の厳しさを俯瞰的かつシニカルに描いたポン・ジュノ。最先端だ。傑作、お勧め。