映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「カメラを止めるな!」監督・上田慎一郎 at TOHOシネマズ梅田

kametome.net  新宿K'sシネマ1館からアスミック・エース配給で全国展開、遂にTOHOシネマズへと。そのTOHOシネマズ梅田満席の中鑑賞。

 1シーン1カットの映画というのはデジタル時代になって同時多発する。本作前半を観て、毛色は違うがイラン映画「予兆の森で」('13)が脳内を過る。

sachigra.comで、後半。

日本のテレビ放送黎明期、1950年代末から60年代にかけて、テレビドラマは生放送だった。オンエア中の様々なアクシデントを出演者やフロアDが機知を働かせてカバーしなければならない。大森一樹監督「トットチャンネル」('87)でそのあたりの涙ぐましいエピソードが描かれていたが、それを今の時代にやろう、しかもゾンビモノで、というところが無理筋なモチーフなのだが作り手の映画づくりへの純粋な眼差しがそれを乗り越えている。中心になる日暮ファミリーの父が再現ドラマの監督、母が元女優、長女が助監督、というのも作劇上の都合が見え見えなのだが、それすら力技で乗り越えていると言えるほど画面にエネルギーが滾っているのだ。初期の石井聰亙のようだが狂気や負のエネルギーの爆発ではなく、上田監督はひたすらに陽気であるところが大変ヨロシイ。

 さて、この「作りたい映画を作る」という純粋さと何か新しい「お祭り」に参加したいという観客のニーズが見事にマッチした。敢えて言おう、どの映画もおんなじような顔ぶれのキャスト、中国共産党並みの序列キャスティング、芸能事務所主導の「行政」と呼ばれるバーター、本編に関係のない主題歌タイアップ、出資元見え見えのテレビキャンペーン。異口同音なコミック原作の映画化。全ては「責任不在」の安全パイ護送船団な制作陣の共同謀議。それら全てにほとんどの観客はウンザリしているのさ。上田慎一郎監督はこれから本作の10倍以上の製作費でそこに巻き込まれる、かも知れないが健闘を祈る。

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「ウインド・リバー」監督テイラー・シェリダン at シネリーブル梅田

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 いかにも寒そうな山間の牧場、狼のような動物(のちにコヨーテと分かる)が狙撃される。ライフルで一発、絶命。撃った男コリー(ジェレミー・レナー)の顔にタイトル。この最初の1シーンが後々の伏線になっている。寡黙なハンター、コリーには別れた妻、喪った娘。テイラー・シェリダン脚本の「ボーダーライン」('15)のベニシオ・デルトロのキャラクターに重なる。コリーは雪原に少女の死体を発見。捜査に乗り込んだのは事務的に仕事をやっつけようとしている(ように見える)女性捜査官ジェナ(エリザベス・オルセン)。ラスベガスから薄着でやって来て、傍若無人。これも「ボーダーライン」に似たようなキャラクターの女性がいた。シェリダン監督の中に、強烈な思い入れのある人物像が存在することが想像される。

 ネイティヴ・アメリカンの居住区、この映画では保留地と呼ばれる地区の現状、そして過去に遡って彼ら彼女らが差別されている実態は変わっていない(これは西部劇裏面史だ)ということが分かる。伏線とメタファーが細かく散りばめられる。後半、コリーが見つけるコヨーテの群れが穴倉で目を光らせている不吉が、直後に殺戮戦として現出する構成などがそうだ。あるいは凡庸な官僚的人物のように見えていたジェナの、正体。見事なガンファイト。演出は細部までシャープで力強い。

 佳作、お勧め。

「検察側の罪人」監督・原田眞人 at 東宝関西営業所試写室

kensatsugawa-movie.jp  雫井脩介の原作は未読ながら、朧げに原作との違いが想像出来る。というのも現在進行形のこの国の問題が随所に盛り込まれているからだ。「怒り」('16)というさほど現世界に向けて怒っていない映画があったが、原田眞人監督は怒っている。歴史修正主義者への怒りは今に始まったことではなく「バウンス ko GALS」('97)や「KAMIKAZE TAXI」('95)でも描かれているが、今作ではそれが現在の日本の状況への危うさに繋げられている。木村拓哉演じる検察官が清濁併せ呑む人物である背景には、歴史修正主義への反駁という正義が信念としてある。しかしそれは「スマートな奥崎謙三」でもあるという危うさも露呈してしまうところが見どころ。

 さてそれ故にいろんなことをやらかし、仕掛け、のたうちまわる木村拓哉は善戦している。あの妻役の品の無さも確信犯だろう。一方で犯人側、松倉役の酒向芳、かっさらう勢いの凄味。

 8月24日公開。

「グッバイ・ゴダール!」監督ミシェル・アサナヴィシウス at 神戸国際松竹

www.imdb.com  アサナヴィシウス監督の前作「あの日の声を探して」('14)を見逃しているのが痛恨だがガラリと雰囲気を変えてゴダール五月革命の時代のパリを描く。ゴダール調の字幕やら即興的な演出やらを楽しげに上書きしている時点でついて行けなかった。そんなの誰でも思い付くだろうが。

 ゴダールアンヌ・ヴィアゼムスキーの関係が物語の軸になっているが特異なものでも劇的なものでもない。ゴタールともあろうお方がマルコ・フェレーリに嫉妬する凡庸ぶりは却って新鮮だが。

 自らを客観視し、茶化し、それによって哀感を誘ったウディアレンの「アニー・ホール」('77)と「マンハッタン」('79)の偉大さを思い起こす。

 壮大な謎はこの映画を国際松竹で1日2回上映していることだ。神戸ならアートビレッジか元町映画館あたりで充分だろう。土曜1回目案の定閑古鳥。

 

「ルームロンダリング」監督・片桐健滋 at シネリーブル神戸

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 片桐監督は助監督出身、オリジナル脚本でこれがデビュー作。

 かつては「第一回監督作品」というフレーズがポスターに踊ったものだが今ではそんなこともない。目一杯自分らしさをぶつけて我ここにあり、というパッションが‥‥感じられなかった。乏しい制作費は我と我が身を振り返れば幾らかかっているかは容易に想像できる。ここには書かないが。オダギリジョー田口トモロヲ。二人のキャスト費なんぼか、私にはわかる。

 現実のコミュニケーションが取れず、死者と対話ができる女子。類型的なのはいいとして、イタコ現象が遺伝というのはなぁ。それ故に子を捨てる母というのも「なるほどそうか」と溜飲を下げられるほどのものではない。

news.mynavi.jp↑この事情を熟知している身としてはこれ以上の論評は差し控える。平日のリーブル、そこそこの入り。頑張れ片桐監督、つくり続けて欲しい。

「万引き家族」監督・是枝裕和 at TOHOシネマズ西宮OS

gaga.ne.jp  劇場はほぼ満員。先に言うが、これまでの是枝作品のいくつかの延長線上にある作品なのだがパルムドールを獲るとこういう「入り」になるという映画民度もへったくれもない付和雷同の国民性は治らんのう。

 後半、大雪が降り、その翌日擬似親子の別れのシーンがあり、そこに名残の雪がある。雪を降らせたわけではなく、雪が降ったことで変えられた可能性の高い演出である。これまでも「幻の光」('95)で奇跡のような雪の降り始めをとらえた是枝監督は、なるようにしかならない、ではなく、なるように仕掛けて行く、仕向けて行く天才であろう。虐待を受けている女児の「仕向けられぶり」が凄まじい。どこにあんな子がいたのであろう、その見つけた奇跡もまた監督力である。

 内容としては昨今の新聞記事、社会問題をリンクさせたものだ。貧困、は殊更今の時代の現象ではない。なのでどうしても川島雄三の名作「しとやかな獣」('62)の万引きならぬ詐欺師家族を比較してしまう。あの映画の父・伊藤雄之助の言葉は、二度と戦後の飢餓の時代には戻りたくない、だから人を騙してでも生きるというものだった。此方の父・リリー・フランキーは「これ(万引き)しかできない」と言う。この受け身はどこから来るのか。

 同じく英国の貧困を描いたケン・ローチわたしは、ダニエル・ブレイク」('16)の方が怒りは激しい。是枝さんは江戸っ子の品の良さが顔を出す。

「30年後の同窓会」監督リチャード・リンクレイター at シネリーブル神戸

www.facebook.com  映画が始まってしばらくして強烈な既視感に囚われ、それが即座にハル・アシュビーの「さらば冬のかもめ」('73)である事を自覚したが、観終わって検索したところ原作者が同じだった。そういう事か。

 ずっと曇天のグレーがかったルック。陸軍士官学校を描いた「長い灰色の線」('55)という映画もあった。関係ないか。イーストウッドの「15時17分、パリ行き」('18)で描かれる「英雄」と、立場は同じなのに全く意味の違う「英雄」が描かれる。イーストウッドが普通の若者の稀有な体験、を「明るく」描いたのに対し、第二次世界大戦以降、恐らく全米中で遭遇したであろう普通の若者とその家族の寒々とした悲しみが描かれる。

 リンクレイターはダイアログに特異な才能を発揮する人で、ここでも時にダラダラとどうでも良い会話を展開する。しかし、やがてそれはイラク戦争で顔を跡形もなく吹っ飛ばされた21歳の青年がそんな無駄話をすることも出来ただろう、生きてさえいれば、こんなダラダラと生き長らえているオヤジ達のように、という意味合いを帯びて来る。

 最初から最後まで曇天の、オヤジ三人の道行き。しかし、このアメリカの平凡はこの国家の歪みを伝えて余りある。遺族の老婆が言う「何のための戦争?」と言う言葉が全てだった。「さらば冬のかもめ」をもう一度観たくなった。