映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ブラック・クランズマン」監督スパイク・リー at シネリーブル神戸

www.instagram.com   邦題にはナカグロが入っているが原題はkkKが繋がっている。さてそのKKKだが題材とされた映画には「ミシシッピー・バーニング」('88)という傑作があり、またそのものズバリの「クランスマン」('77)なんてのもあった。

 本作は事実に基づいた原作があるらしく、それを'70年代のベトナム戦争の最中の時代に置き換えて描いている。舞台はコロラド州コロラドスプリングス、位置的には中西部。冒頭、何と「風と共に去りぬ」('39)のフッテージから始まり、黒人やユダヤ人を延々と侮蔑する人物の演説が続く。スパイク・リーが描くこの「ごあいさつ」は彼がこの映画で伝えることの歴史的経緯の解説となっており、後半にも主人公二人の潜入捜査官がKKKの集会に潜り込んだシーンと、ハリー・ベラフォンテ演じる老人がジェシー・ワシントン事件を語るシーンの些か無理やりなカットバックがある。全編に渡って直接的な差別表現と分かり易すぎる歴史的経緯の説明は、勿論聡明なリー監督が確信犯でやっている筈だ。皆さん、お分かりでしょうか、と。「グリーン・ブック」の口あたりの良さと正反対で、彼がオスカーの授賞式で席を蹴ったのも「お前ら全然分かっとらん!」ということなのだろう。しかし「グリーン・ブック」が選ばれるのはアカデミー的には宜なるかなであろう。

 本作は一件落着、で終わらない。むしろ差別的状況が変わらないことを物語っている。そういえば「悪魔の追跡」('75)のラストのどんでん返しに似た味わいがある。検索してみたら「悪魔の追跡」、コロラドが舞台だった!

 

 

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」監督カビール・カーン at 塚口サンサン劇場

www.imdb.com  2015年のインド映画、159分あるがダンスと歌をカットしたら20分は縮められるだろうがそれは出来ないお約束。ベッタベタの人情物、ヒーローたるパワンを超人気スター、サルマン・カーンが演じていて、これが無類のお人好し。バックボーンにヒンドゥー教ハヌマーン神の信仰がある。本編によると猿の神様のようだがwikiによると孫悟空も関係あるそう

 で、インドに紛れ込んでしまった異教徒たるムスリムの少女を故国パキスタンに送り返す、ただこの子が口がきけない、字が読めない。なのでいろんなことが起きるというストーリー。パワンとその周りの人々がこの少女がムスリムである事に気がつくのがえらく遅い。少女がベジのカレーを食べ残して隣家のムスリムのタンドリーチキンを食べるところで気がつくと思うが、そのカンの悪さは一方で宗教間の遠い隔たりを物語っているとも言える。 昨年の映画「英国総督 最後の家」がその過程を描いていた。そして少女の住む村がカシミール地方。ここの位置関係は予備知識があるとこの映画をより深く味わえる。

www.asahi.com  なるほど本編の中で描かれるその国境線は朝鮮半島の38度線並みの厳戒体制であるのはこういった理由からだと。なので、ツッコミどころは多々ある脚本だが、本質にあるのは宗教間の宥和である。現実は疲弊した対立関係であるのは日々のニュースでも知る事が出来る。本編でパキスタンの聖職者が警察に「モスクの中に原爆の設計図なんかないよ」と言うのはパキスタンの対インド原爆製造を物語っている。一方でこの映画がインドでヒットして日本まで届いて公開されるという事は、市井のレベルでは平和的解決が理想像なのであろう。パキスタン国境警備隊ラクダに乗っているのはなかなか映画的な画。

 ともあれ、ちゃんとお金かけて作られている娯楽大作として見応えは充分。

 

 


 

「まく子」監督・鶴岡慧子 at シネリーブル神戸

makuko-movie.jp  西加奈子の原作は未読。一方監督の鶴岡氏は30代、登場する母親世代と子供達の世代の中間ということになる。冒頭の小学校、主人公の男の子サトシ(山崎光)の頭の上から枯葉が降って来て、運動場に行くと大声で漫画を朗読する男、取り囲む子供達のショット、或いは突然の雨から回想に入ってサトシの父親(草彅剛)の浮気現場へと繋がる‥‥などでなかなかええ映画的センス、と居ずまいをただしつつこれが中盤以降失速気味になる。人物二人の会話を、同じような背景の前で悉くワンカットで処理して行くのはちょっとな、と思いつつ、貧しい日本映画の現場の事情を知る者としての想像に過ぎないが、スケジュールの都合でカットが割れなかったか、とも思う。しかし小学校5年生達の会話は確信犯的に子供らしくなく、原作通りなのか否かはいざ知らず、文学的だ。しかしそれはこの監督の的確な演出で映画ならではの世界の構築に貢献している。

 その中盤を過ぎると奇想天外な展開、突如スピルバーグ調となり、唖然。この勇気は買いたい。

 草彅剛、これまで見せたことのない様々な動作はかのジムショからの解放のメタファーとなっている。それとて貧しい日本映画の事情、でもあるが。

「女王陛下のお気に入り」監督ヨルゴス・アンティモス at シネリーブル神戸

https://www.facebook.com/TheFavouriteFilmUK/

アン王女役オリビア・コールマンが今年のオスカー主演女優賞。

 史実に照らし合わせてみると、いやただのwikiからの引用だが、本編で語られているスコットランドとフランスとの戦争というのはスペイン継承戦争の一環らしい。1700年前後か。さてそのスコットランド王室を実際にある城でロケーションしつつ人工的なライティングを廃して蝋燭の灯で撮影している。また広角レンズを多用(多用し過ぎの感あり)、フルショットで縦横無尽にキャメラは動き回る。舞踏会、18世紀にこんなダンスがあったのか、と一瞬思ったがそのうちこれは確信犯的に変な振付にしていることに気が付く。キューブリックバリー・リンドン」('75)を充分に意識しつつ、これまでにないルックを展開するアンティモス監督のセンスは抜群。女がすっぴんで男が化粧をしている世界、フルショットを多用していながらここぞという所でのエマ・ストーンのアップに膝を打つ。波乱万丈のストーリーがある訳ではなく、スコットランド王室の大奥、それが男を巡る争いではなく、ひと口で同性愛とは括れない、平たく言えば女子校ノリの女の本性を凝ったダイアログ演出で魅せる。「グリーン・ブック」の分かりやすいヒューマニズムの方がアカデミー受けするのだろうが、個人的にはこっちの女性の深層心理を画で見せていく才気溢れる演出に強く惹かれる。役者は全員素晴らしい。

 傑作、お勧め。

 

 

「グリーンブック」監督ピーター・ファレリー at 109シネマズHAT神戸

www.instagram.com  今年のオスカー3冠。

 1962年のNYから始まる。劇中ドン・シェリー(マハーシャラ・アリ)が警官にJFKの弟の司法長官に電話させるシーンがある。JFKの暗殺はこの翌年。孤高の黒人ピアニスト、ドン・シェリーが敢えて差別の激しい南部に演奏旅行に行く。その為には運転手としてだけではなく腕っぷしが強い男が要るということでオーディション、選ばれたのがイタリア系のトニー(ヴィゴ・モンテンセン)。押し付けがましく、野卑だが危機管理能力に長けた男。北欧系の筈のモンテンセン、素晴らしい化けっぷり。イタリア系のそれっぽい人はハリウッドに山ほどいる中敢えてそうしなかったプロデュースサイドの見識。が、しかし典型的ハリウッドコメディ畑のファレリー監督、説明がやや過剰。冒頭のレモネードのコップを捨てる件はさりげなさから程遠い。ロシア語でツアーメンバーと会話するシェリー、これで彼がどこでピアノ修行したか判るのだが、のちに台詞で説明する丁寧さ。ツアー中、これでもかと差別に晒されるシェリー、そのシェリーを意識的にも無意識的にも差別するトニー、表現としては直截で分かりやすい反面、もう分かってる事、でもある。一方ケンタッキーフライドチキンの件、元々黒人の食べ物であるフライドチキンを嬉しそうに貪り食うトニー(無意識的)、美意識故に食べたことのないシェリー(意識的)のねじれた対比は秀逸。 

 アカデミー賞というのは時にこういう分かりやすいものが受ける。いやでも「夜の大捜査線」('67、オスカー5冠)「ドライビング Miss デイジー」('89、同じく4冠)を思い出す。本作の中で、粧し込んだ助手席のシェリーを訝しげに見つめる貧しい黒人農夫達が出て来るが、「夜の大捜査線」の冒頭、綿畑で働く黒人農夫の一人の目が潰れているショットを見せるだけで時代と状況を伝えたノーマン・ジュイソン監督、格上。また、先に見た「運び屋」で車がパンクして往生している黒人夫婦に、「ニガー」と呼びかけ、苦笑されながら「今はそんな風には言いません」と窘められるイーストウッド諧謔の方に差別的であることの真髄を感じる。

 ともあれ、時代を伝える悪くない作品。

 

Feelings (Dime)

Feelings (Dime)

  • Donald Shirley
  • ジャズ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 

「七夕の妻」監督チョイ・パギリナン、チャールソン・オン、リト・カサヘ at シネリーブル梅田

twitter.com第14回大阪アジアン映画祭の一環で上映。

 劇中、日露戦争から20年後、との台詞があるので1930年代前後か。資料によると日本人がフィリピンに入植していたというのは史実らしい。で、その入植日本人(何故か全員関西弁)の一人タナバタ氏が少数民族の娘をお手伝いで雇い、やがて結婚。妻は当初日本語の歌を覚えようとしたり同化しようとするが、産まれた子供の名付けを巡って対立。同民族の元カレ(だと思う)に「戻ってこい」と諭されて家出。元カレが子供を捨てようとしたので怒って夫の元に帰る、というお話。単純過ぎて間の持たない脚本、日本人出演者が適当なことしか話さない、つまり台詞が与えられていなかったのであろう、これまた間が持たない演出。エンディングに小津と黒澤に敬意、と字幕が出るが日本映画への憧れがあるのは結構だが技術的には模倣の域にすら達していない。

 救いは妻役のマリベス・ファンラヤンの魅力。本業は写真家とか。

「バーニング 劇場版」監督イ・チャンドン at 元町映画館

www.burning-movie.com   村上春樹の原作「納屋を焼く」は読んだ記憶はあるものの内容はほとんど覚えていない。いやしかしそんなことはどうでも良いぐらいスリリングな映画だ。出資者にNHKがクレジットされており、テレビ版が存在する。50分以上カットしているようだがそれもどうでも良いくらいこの映画は新しい。いつ以来だろう、森田芳光監督「家族ゲーム」が1983か。あれを初めて観た時に感じた新しさがこの映画にはある。どの映画にも似ていないということで言えば大島渚以来だ。

 恐らくはノーライト、自然照明で撮影している。曇天や夜が黒で潰れるギリギリで撮られている、それはデジタル撮影だからこそであろう。フィルムなら潰れている。北朝鮮との国境付近だと説明される主人公の実家の庭、大麻でハイになった女が踊り、やがて暮れなずむオレンジ色のスカイライン(勿論それは狙った演出であるに違いない)の自然の光の美しさによってシルエットになっていく(そこにマイルスの死刑台のエレベーターが重ねられるとは恐れ入る)ショットは映画史に残る素晴らしさだ。

 脚本も撮影も全てが勇気ある選択をし、まだある筈だった新しい映画というものを証明している。もう一度観たい、何か見落としているのかも知れないと思わせる傑作。お勧め。