映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「蟻の兵隊」監督・池谷薫 at 第七藝術劇場

1945年8月15日をもって日本軍は連合国軍に無条件降伏、武装解除されたはずだった。が、中国・山西省に於いて中国共産軍と戦う中国国民党軍司令官は、終戦当時山西省にいた日本軍部隊の一部を残留させ、国民党軍に組み入れる事を日本軍司令官に持ちかける。取引条件はこの司令官の「戦犯逃れ」であった。残された日本軍部隊はその後3年間、共産党軍と戦うこととなり、多くが戦死したが、当の司令官はさっさと帰国していたのだった。では何故に残留日本軍は戦闘に加わったのか。彼らは司令官から「皇軍の復活の為の戦い」という命令を受けていたのであった。1948年以降、ようやく帰国を果たした残留兵達は、自分たちが軍人恩給を受けられないと知って愕然とする。その理由は「自らの意思で残留し、国民党軍と合流したから」とされているからであった。そんな訳はない、と裁判で争い続ける残留兵達の一人、奥村和一氏を追うドキュメンタリー。
冒頭、正月の靖国神社。焼きそばを食べている少女達に奥村氏は尋ねる。「何故靖国に詣るの?」彼女等は答える。「初詣」。監督は奥村氏の来歴を簡単に少女達に話す。少女達は「ひどいよねぇ」と感想を漏らす。この「ひどいよねぇ」とほぼ等価の印象しかないであろう多くの現代日本人達に「これから始まる物語」を投げかける構成は巧みだ。
奥村氏は論理的であり、国の責任を問う姿勢は一貫してぶれない。戦争は憎むべきであるという情念は実に胸をうつ。が、この映画が圧倒的に優れているのは、既に見知った「終わらない戦後」の悲劇にとどまっていない点だ。山西省に渡った奥村氏は、無辜の中国人を処刑した事実を語る。自らの罪を悔い改めようと当時を知る現地人に会う。しかし、ここで彼にとって意外な事実を知る事となる。これからご覧になる方の為にその事実は伏せておくが、この事実に触れた時、彼は突如として「帝国軍人の論理」に立ち戻ってしまうのだ。このシーンは凄い。地元民の、どうしていいかわからないような表情も含めて、この奥村氏の心の奥底が透けて見えてしまう、恐ろしく衝撃的な「軍隊というもの」を捉えた瞬間だった。また、90歳を過ぎて寝たきりとなって最早忌の際と言ってもよい状態の奥村氏の上官が、それでもまだ何か「真相」を語ろうとする姿にも、「軍隊とは何か」を思い知らされる。あの戦争を正当化することで国家のアイデンティティを語ろうとするロマンチストへの一本の鋭い矢を放つような映画。お勧め、必見。