映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「オール・ザ・キングスメン」監督スティーヴン・ゼイリアン at 阪急会館。

ロバート・ペン・ウォーレンの同名小説の二度目の映画化。
1950年代初頭、ルイジアナ州の税官吏だったウィリー・スターク(ショーン・ペン)は、談合汚職によって建てられた学校で事故が起きた事により、役所の不正を糾すべく知事選に立候補する。尤もそれはティニー(ジェームズ・ガンドルフィーニ)という、財界寄りの知事候補のスパイによってそそのかされたからであった。ウィリーにシンパシーを感じた新聞記者ジャック(ジュード・ロウ)は、彼に対して的確な助言をする。それによりウィリーは穏やかな演説を止め本音丸出しにがなり立てる演説に切り替える。これが効を奏して低所得者層の圧倒的支持を集め、この出来レースのような知事選から逆転当選するに至る。程なくジャックはウィリーの側近となるが、自分の育ての親であるアーウィン判事(アンソニー・ホプキンス)がウィリーの不正蓄財を指弾すると、ウィリーはジャックにアーウィンのスキャンダルを探せと命令するのであった。ウィリーはやがて政策実現の為に手段を選ばなくなって行き、ジャックもまたそれに手を貸す事になる…というお話し。
権力を握る事により人が変わってしまうという普遍的かつ極めて人間臭い物語だが、ショーン・ペンは熱演すればするほど彼が俳優として本質的に持つワル的な感性が露呈してしまい、イノセントからダーティへの変節を弱めてしまっている。平たく言えば「どうも最初っからワルそうに見える」のだ。やはりオスカーを獲った「ミスティック・リバー」('03)こそがこの人の本質なのだろうと思う。脚本兼任のゼイリアン監督はそれを感じていたのかどうか、新聞記者から知事の側近となるジュード・ロウに複雑なキャラクターを与え(ケイト・ウィンスレットに手を出さないのは心情的には理解不能だが)、この人物の苦悩にこそ焦点を当てており、彼の力量で救われている。
当初フィックス気味で対称を捉え続ける大人しいキャメラ、どこで動くのだろうと思ったら、ショーン・ペンが初めて本音で熱弁を振るって聴衆を魅了するシーンで動き出し、観る者の心をも掴む。東欧出身の撮影監督パウエル・エデルマンの技術が素晴らしい。


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