映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「母なる証明」監督ポン・ジュノ at シネリーブル神戸

原題は「母」、この邦題はなかなか良いセンス。
韓国の、どこか田舎町。
知的障害を持つトジュン(ウォンビン)は、母親(キム・ヘジャ)に溺愛されている。ジンテ(チン・グ)とトジュンは連れ立って遊んでいるが、ジンテがいない夜、ひとりで酔っぱらったトジュンはひと気のない廃屋へと向かって行く少女の後ろについて行く。翌朝、少女は廃屋の屋上で奇妙なかたちで死体となって発見された。トジュンが犯人として疑われ逮捕されるが、無実を信じる母親は執拗に警察に掛け合い、遺族にも対峙する。やがてジンテが金目当てに母に協力、真犯人探しを始めるが…というお話し。
映画冒頭、草原でゆっくりとしかし深い情念をたたえて踊り始める母のショットを見た瞬間、肌が粟立つくらい興奮した。これはラストシーンのイメージである。キネマ旬報11月上旬号の黒沢清監督の言葉を引用すると「やられたと思いました」だ。これはきっと映画後半のどこかに繋がる筈だという予測は立つが映画そのものは常に予測を裏切る展開を続けて行く。それにしても韓国の警察って「殺人の記憶」('03)にしても「チェイサー」('09)にしてもどうしてこう無能なのだろう。本当なのか。人権意識もへったくれもあったもんじゃない。意地悪な言い方をすれば韓国警察が無能なお陰で優れた映画が生まれていると言える。
全てのカットにポン・ジュノ監督の「創造力」が行き渡りエネルギーが漲っている。バイキング料理を皿に取るだけのシーン、あんなにカットを積み重ねなくてもと思うが、その執拗な「全て創造するんだ」という強靭な意志には敬服した。列車から見えるただの一本の雑木にさえ幽気を感じてしまう。
これ以上は話しの内容については語れない。単なる母性愛物語だと思っていたら見事に裏切られる。そして後半、冒頭のダンスに繋がるシーンを目にし、遂に彼女が踊りだした瞬間は痺れるほどに映画を見る幸福感に浸れるだろう。
傑作、必見。