映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「トスカーナの贋作」監督アッバス・キアロスタミ at ユーロスペース

 イタリア、トスカーナ地方の町。英国人作家ミラー(ウィリアム・シメル)の新作「贋作」のイタリア語版出版に当っての講演会が開かれる。少し離れた町でアンティーク商を営むエル(ジュリエット・ビノシュ)は息子を連れて会場に。全く興味を示さない息子のせいで、講演途中に抜け出してしまうが、ミラーに連絡先を渡す事に成功した。程なくエルの店に現れたミラーを連れてトスカーナ観光案内をすることに。あるカフェに入った二人だが、店の女主人に夫婦に見間違われる。そして二人は店を出たとたん、夫婦を演じ始める…というお話し。
イランの名匠、キアロスタミが初めてフランス資本でイタリアロケした画期的な新作。これまで本国の厳しい表現コードを逆手に取った映画手法の純化が神々しくさえあったキアロスタミが初めて手に入れた「自由」。
 男女が並んで歩く表現さえ気を遣わなければならない国から恋愛の国へと脱出して、彼が試みたのは夫婦という古来からの関係性への疑念。ここでの二人は手もつながなければ勿論キスもしない。そう、キアロスタミは変わらない、変えない。中国の監督が外国資本で映画をつくるとここぞとばかりに性愛表現を盛り込むのとは正反対だ。トスカーナを舞台に語られる哲学としての夫婦像は、結局もっと構ってよ、いや愛してるからこそ自然体でという洋の東西を問わず延々と対立してきた男女の感覚の違いに終止する。作家の男性の方のバックボーンは殆ど見えず、時々携帯電話で誰かと話しているが妻かどうかは判らない。しかし過去か現在かはともかく、確実に両者は誰かと結婚した経験があり、ここで「間違えられた夫婦」が突然夫婦を演じても、その苦悩は同じである、とも読み取れる。所々で登場する新婚、ベテラン、そして老境の夫婦の点在もまたそれを物語っている。
 既婚未婚の違いもさることながら、見る人によって解釈は様々だろう。トスカーナの光と空気をしっかりパックしたようなHDキャメラのルックが美しい。
 誰彼なく勧められる作品ではないが、大人なら是非。
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