映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「汽車は再び故郷へ」監督オタール・イオセリアーニ at シネリーブル神戸

原題はChantrapus、どういう意味かと検索するとフランス語が語源で「歌えない」という意味。これがロシア語に転じて「役立たず」ということらしい。→ここ参照
ソ連時代のグルジアが舞台。グルジアは古くから撮影所があって映画をつくっていることは知っていた。セルゲイ・パラジャーノフ、そして「ピロスマニ」('69制作'78公開)が記憶に残っている。
年代はよくわからないが少年時代の主人公ニコラ(ダト・タリエラシュヴィリ)から始まり、長じて撮影所勤務の映画監督になっている。ある作品を撮影、編集しているが編集権を取り上げられ、勝手に改竄されそうになるも編集マンを追い出し何とか作品を完成させる。しかし上層部はこの作品を上映禁止にしてしまう。ここでの上層部の描写は興味深く、口では悪し様に作品をこき下ろしつつ、帰り際にこそっと監督ニコラに同情するのだ。盗聴、監視、思想言論統制の恐ろしさと滑稽さを示している。紆余曲折あってニコラはフランス、パリへと脱出。そこで映画製作のチャンスを与えられるが相変わらずのソ連政府の監視とフランスのプロデューサー達の作品への干渉にニコラは辟易し作品は大失敗、彼は結局国へと帰る。時が経ち共産主義体制は崩壊…という流れ。
テンポはどよーんとしたイマ風に言えば「ゆるーい」感じ。ニコラが才能ある映画監督として描かれるものの、彼のつくる映画はどうにも陳腐に見える。陳腐なコメディのようなものをどうして検閲したり干渉したりするのだろう、という意味の表現なのかも知れないがどうにも乗れず。あの人魚もなあ…決着としてはずるい、もとい「ゆるい」ような。


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