映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「愛、アムール」監督ミヒャエル・ハネケ at Bunkamura ル・シネマ

パリのあるアパルトマン、ただならぬ急を要するかのように警察官達がドアを打ち破り、突入する。刑事の一人がハンカチで鼻を覆う。死臭であることは明らかで、窓を開け放つ。青い空から差す美しい光が、ベッドに横たわる老女の遺体を覆う。遺体には花が散らされている。遺体なのに完膚な美しさを漂わせている、そしてこの開巻から徹尾までキャメラの構図と光(撮影監督ダリウス・コンジ)はほぼ完璧なまでに美しい。
亡くなっていたのはアンヌ(エマニュエル・リヴァ)、その夫ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とは音楽家同士の夫妻。ジョルジュがアンヌの異変に気づいたある朝から、彼女が寝たきりに至るまでそう時間がかからなかった。
ハネケ監督はワンシーンの時間の流れを出来るだけカットを割らずに省略なしで見せる。と、次のシーンに移ると時間が飛んでいて、その間にあったことは見せない、しかし明らかなる変化は観る側により深く伝わるという演出。
驚嘆すべきはアンヌの、映画の中での死に至る老化ぶりだ。最早彼女が言葉を満足に発することも出来なくなった頃、ジョルジュが見る(聴く)幻想のカット…それは健常な頃に彼女がピアノを弾いているショット…に慄然とする。我々が観ているのは俳優が演じている映画の筈なのに、健常な頃とそうでない頃の時間差が本当に流れている長い時間のように感じるのだ。分り易く言えば、「本当に老けた」ように見えるのだ。エマニュエル・リヴァ恐るべし。また、アンヌが捲る昔のアルバムの中のジョルジュの若き頃の一葉。トランティニャンという俳優の若き頃の映画を何本も観ている我々には「彼の今の姿」に何もかも晒している凄みを感じる。
シーンの中の時間の流れを切らない演出は長い伏線でもあり、その効果が発揮される後半部分の「ある長い時間」、ただ事ではない映画の持つ力に気圧されフラフラになるくらいに打ちのめされる。
傑作。必見。


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