映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「アメリカン・スナイパー」監督クリント・イーストウッド at 109シネマズHAT神戸

 不死身の映画現人神イーストウッド御大最新作。
かつて彼が観て「これは西部劇になる」と見込んだ黒澤明監督「用心棒」('61)の中に、用心棒こと三船敏郎が火の見櫓に登って二組の組織の争いを「高みの見物」するシーンがある。イーストウッドアメリカに於けるこの映画をめぐる右派対左派、愛国主義反戦の論争をまるで用心棒の「高みの見物」が如く眺めていることであろう。そうなることはとっくにお見通しだとばかりに。
 彼は、表層的であれ深読みであれ、ご自由にとばかりに淡々とイラクでの戦場の出来事を見せつける。地獄ツアーの案内人がスナイパー、クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)。この彼も、決して全面的に共感出来る人物としては描かない。それこそ全米中にいる田舎者のマチズモ、キリスト教右派、非インテリ。彼が戦場で伝説のスナイパーとなっても決して輝かしい出世物語にはせず、また彼にもたらされる悲劇にも同情しない。典型的なのはラスト近く、冗談で妻にコルトシングルアーミーを突きつけるシーン、あの英雄にあるまじき幼稚な危うさ。一方、イーストウッドの映画にしばしば描かれる児童虐待は今回も容赦がない。この監督の信条としての児童虐待への怒りは凄まじい。
 殺戮、虐待、PTSD。それらがこれでもかとしつこく状況は展開する。そしてライフルの引き金を引くか引かないかの一瞬の判断で状況が変わる、それ故の葛藤、残忍と安堵の紙一重。そこにカタルシスが潜むこともまた人間の一面でもあるかのように。
「用心棒」を剽窃した「荒野の用心棒」('64)でスターダムにのし上がったイーストウッド、かつて「許されざる者」('92)のエンドクレジットでセルジオ・レオーネに捧ぐ、と記した彼が本作のラストに流すのはもう一人の彼の恩人、エンニオ・モリコーネの「Funeral」=葬式。そしてその曲が終わった後は全ての戦争犠牲者への黙祷と捉えた。傑作、お勧め。



にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村