映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「岸辺の旅」監督・黒沢清 at ヒューマントラストシネマ渋谷

「生きている人は死んでいて、死んだ人こそ生きているようなむかし、男の傍にはそこはかとない女の匂いがあった。男にはいろ気があった」とは稀代の名作、鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」('80)のポスターの惹句だが、それを即座に想起させる展開だ。この映画に於いて、主人公優介(浅野忠信)は、既に死んでいるという、我々が観る上での約束事から始まり、死んでいるはずの彼は妻瑞希(深津絵里)に限らず、身内の死を体験している人または死んだ本人には彼が見えて、普通に会話が出来る。いや、では優介の講演を聞きに来ている村落の人々はどうなのだろう、彼らもまたそうなのか。という訳で理屈は宙吊りにされたまま悠然とエピソードは続く。
瑞希という女性の、理想の恋愛であり、結婚だったのであろう、それを想念としての旅路で確かめることができるのは、この映画の中だけである。観客が上映時間の間、この物語を心地よく思えるのであれば、映画はそういう意味で人間にとってとても大切な装置なのかも知れない。