映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「この世界の片隅に」監督・片渕須直 at シネリーブル神戸

冒頭の昭和8年の広島の青空に、コトリンゴの歌声が被さる。この青空から12年後全てを殲滅する爆弾が降って来るのだと容易く想像できるシーンに相反する牧歌的な歌声に既に胸を締め付けられる。
短いカットで積み重ねられる一人の女性すずと彼女を取り巻く日常。もののけが介入したり、キャラクターの鷹揚な雰囲気に、一転戦争の時代に入ると不穏なリアリズムが襲う。
晩年の黒木和雄監督や新藤兼人監督が繰り返し描いた原爆と庶民、戦争と庶民の描写をこの映画は凌駕する。それは空襲を描くということ。この映画の空襲はその「見事な」爆発音と詳細にして正確な描写によって「殺される側」の恐怖を描くことに成功している。思えば戦争を描くことにおいて日本映画はずっと貧しかったのだ。製作費が足りなかったのだ。これほど「ちゃんと」空襲を描いた、そして不発弾の恐怖を描いた映画は初めてだと思う。
これまでの映画では観たことのない形と色の原爆雲、8月15日の敗戦の日に、ぴゅっと上がる小さな太極旗にハッとさせられる。恐らくあれも事実なのだろう。
あまりに時の国家に従順な國民(=描かれている世界)と、何でも言えるはずの現在(=観ている我々)が、敢えて昭和という元号のない年月の記述でシンクロしている。我々は変わったのか。変わっていないのか。
後半、胸のつぶれる思いで見続けなければならないが、ラストの生きて行く希望も含め、これは必見の傑作。


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