映画和日乗

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「止められるか、俺たちを」監督・白石和彌 at テアトル新宿


 

 

 若松孝二監督の作品は「水のないプール」('82)「キスより簡単」('89)「我に撃つ用意あり」('90)「寝取られ宗介」('92)と好きな作品も多いが、期せずしてご本人に初めてお目もじしたのが、映画監督協会に入会して初めての京都例会の折だった。

 1996年だったと記憶している。何と本作「止められるか、俺たちを」にも登場する大島渚監督とご一緒だった。大島監督から「今、幾つ?」と問われたので「29です」と答えると、横にいた若松監督が「俺が29の時はなぁ」と話し出して、どんなことを教えてくださるのかと思ったら例会の挨拶が始まってしまって聞けずじまいだった。今Wikiの年表を見ると、1936年生まれの若松監督が29歳というと1965年、「胎児が密漁する時」が'66年で「犯された白衣」が'67年。「29の時はなぁ」の続きは「最も過激だった」と続いていたのかも知れない。

 そんな若松孝二率いる若松プロの'60年代末と'71年までを描く。

 監督の著書「俺は手を汚す」が愛読書だった私には、この映画のラスト、赤バスが出発した後の顛末も知っている。エピソードの中心になるのは急逝した助監督、吉積めぐみ(門脇麦)。ストーリーというよりエピソードの連続、グラフィティだ。そして殺気立った政治の時代の空気は削ぎ落とされ、どちらかというと楽しげな青春群像であって暗くもなければ重くもない。映画制作現場のあれこれは思い当たることもあって笑ってしまう。足立正生監督(山本浩司、好演)がカットを割っているのを横入りして「ダーっとワンカット!」と撮り始めてしまう若松監督。普通そんなことはあり得ないのだが、このお二人の関係の中では許せたのだろう、大笑いしてしまった。

 井浦新の絶妙の東北訛りが映画全体を温かく包む。連合赤軍日本赤軍のメンバーは登場するだけで事件の予兆すらない。本当はもっと暴力的な局面があったはずだが、「こんなことがあったのだ」という羅列ではなく、あの頃の人々のひとつひとつ、一人一人の関わり合いの温もり、優しさを伝える方に重点が置かれているように思う。

 10月17日、若松監督命日、劇場満員。自分の世代的には「カメラを止めるな!」よりこっちだ。佳作、お勧め。

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