映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「バイス」監督アダム・マッケイ at TOHOシネマズ西宮OS

www.vice.movie  オープニングは9.11のテロ、その時のホワイトハウスの緊迫、がそこに当時の大統領ジョージ・W・ブッシュ(スティーブ・カレル、そっくり!)はいない。副大統領チェイニー(化けに化けたクリスチャン・ベール)と隣席の弁護士が何やら囁き合う。そこから一気に1963年に戻り、アル中のロクデナシの青年チェイニーの立身出世物語が始まる。北野武の「アウトレイジ」が全員悪人、ならケネディ亡き後の米国政界、とりわけ共和党(いや、そうとも限らないか)中枢は全員凡人だ。凡人が道を誤り悪人となって行く様が克明に描かれる。チェイニーはラムズフェルド(サム・ロックウェル)の腰巾着、ブッシュJr.に至ってはただのアホとして描かれる。謎はチェイニーの妻の猛妻ぶり。弁が立つ、頼りない夫を叱咤激励する。何故にこの凡庸な男にひたすらついて行ったのか、その理由は描かれない。

 スピルバーグが自らの映画文法、それはクラシカルにして手堅く且つ流麗な映画文法で描いたニクソン断罪とは正反対な、殆ど台詞で説明してしまう、途中で一旦エンドロールまで出す、ラストのエンドロールの後もまた「いま現在のアメリカ」を描く見せ方はマイケル・ムーアのドラマ版だ。そして夥しい数の無辜の民の戦争犠牲者と、心臓移植で生き永らえるチェイニーの対比を一つの切り取られた心臓のアップで皮肉っている。

 それにしても。この映画は直接選挙制度がもたらす国家的、世界的ディザスターの本質には踏み込んでいない。人種問題、貧富格差、銃規制などいくつかのフッテージで示されてはいるがそれでもこの国が持ち堪えている理由は何故なのか。

 翻って直接選挙ではないはずの我が国の現在がそっくりなのは嗤えないブラックコメディなのだ。議会軽視の政治中枢、メディア規制、ヤンキー上等の反知性。ラムズフェルドの品性下劣は、福岡のあの人に重なって見えて仕方がなかった。