映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「ドリーミング村上春樹」監督ニテーシュ・アンジャーン at シネリーブル神戸

www.dreamingmurakami.com もう随分村上春樹作品から離れて、つまり読まなくなって経つが世界はその逆のようで熱狂は続いているらしい。しかし彼の最初の作品「風の歌を聴け」はその映画化も含め、自分の人生に幾ばくかの影響を与えた事は認める。その「風の歌を聴け」の翻訳に挑み、遂にはアンデルセン文学賞の授賞式で村上春樹当人の通訳をつとめる事となるデンマーク人メッテ・ホルムさんを追うドキュメンタリー。一語一語の日本語のニュアンスに拘り続け、逡巡しながら翻訳作業を進めて行く。

 その間に彼女は来日、東京上野・芦屋・神戸と村上春樹とその文学に所縁の土地を訪ねる。映画版の「風の歌を聴け」の舞台となった三宮「ハーフタイム」にまで赴き、糸川燿史撮影の写真集「ジェイズバーのメモワール」を探し求める。彼女は映画版を観たのだろうか?「ハーフタイム」のマスターが語る、掴もうとしても掴みようがない彼の文学の世界は、川端康成に魅せられて訪日し、日本語を覚えたという彼女の日本への眼差しと重なる。メッテ・ホルムさんがどこかを眺める姿、東京の高層ビル群だったり、タクシーの車窓から眺める芦屋の風景だったりと、頻繁に彼女の眼差しとその先が映される。

 かえるくんが語るミミズくんとの戦いについてのモノローグ、ミミズくんはいま世界を覆う偏狭なナショナリズムと不寛容のメタファーであろう。それは「ハーフタイム」での会話とリンクする。掴めるはずもない世界を、近視眼的な物差しで括ろう、掴もうとするから齟齬が起きるのだ、それは村上春樹文学が欧米でもアジアでも広く読まれるようになった事と無関係ではない、とこの映画は提示しているように思えた。