映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「夕陽のあと」監督・越川道夫 at 新宿シネマカリテ

yuhinoato.com 鹿児島県、長島町という港町が舞台。鰤の養殖が盛んらしく、活気ある鰤漁の描写から映画は始まる。漁協なのか、女性達が働いている会話の中に不妊治療を諦めた、いや私は300万円使ったが駄目だった、という会話がある。この漁協の向かいには食堂がありそこに場違いに目立つ女、茜(貫地谷しほり)が働いていて、食堂の前を通る少年に「いつものように」声を掛ける。少年は彼女を「茜」と呼び捨てにしていて親子ではなさそうである事が分かる。「とわ」と呼ばれているこの少年(松原豊和)は漁協と食堂のある道を走り抜け、船着場を挟んで反対側の倉庫のような家に入って行く。それをじっと見ている茜。そして少年の入って行った家には祖母(木内みどり)と思しき女性が迎え、やがて先ほど「300万払った」と言っていた女、五月(山田真歩)が帰宅する。不妊治療の果てにこの子を産んだ訳ではないのは少ししてから分かる、では茜と呼び捨てされていた女は何故彼を見詰めていたのか。言葉での説明を極力廃して力強いショットの連なりで関係性を炙り出して行く手法に、久しぶりに出会うと言うか、映画を観ている悦びが還って来たような気持ちだった。山田真歩の、ちょっと粒立った額、ソバカスを照らす柔らかい照明、加藤泰ばりに低い位置に置かれたキャメラ。かと思うと茜と少年の距離を物語るロングショット、追いかけあう女二人、茜を押し倒す五月。「魚影の群れ」('83)を思い出す。撮影(戸田義久)が秀逸。

 一人の少年を巡っての二人の女の関係が明らかになった頃、観客はようやく役所の書類によって「とわ」は「豊和」という漢字であることを知る。五月が上京して、茜の来し方を訪ねる事で、その過去を知った五月は、気持ちに変化が現れる。茜に向かって豊和が体をくの字に曲げてお辞儀をしながら「ごめんなさい」「母と仲良くして」と願うシーンに落涙する。

 タイトルにある夕陽が、対立しながらそれぞれの幸せの在り処を必死で模索する二人を照らす時、それまで鋭く交わすされていた視線に優しさが宿る。見事だった。

 製作概要を知りたくなって久しぶりにパンフレットを買った。佳い映画を観た。お勧め。