映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ジョジョ・ラビット」監督タイカ・ワイティティ at 宝塚シネ・ピピア

www.imdb.com

 「シンドラーのリスト」('94)の出現は、映画の観客が抱くあの時代のあの悪魔的な犯罪のイメージを飛躍的にバージョンアップしてしまった。一方つくり手はこの映画以降、自身が被害者でもあるポランスキーが「戦場のピアニスト」('02)で「どうだ」とばかりにアップデートの先鞭を切り、以降今日に至るまで強制収容所ナチスの蛮行を描く映画は「シンドラー」「ピアニスト」の定型から逃れられなくなっている。

そこへ来てのこの「ジョジョ・ラビット」、妙に清々しい青空のもとヒトラーユーゲントの少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)が英語を話し、アメリカン丸出しなサム・ロックウェルがナチの将校を演じている。これは確信犯的に「定型」を逸脱しようとしているなと思っていたところにビートルズの"I Want To Hold Your Hand"が流れる。よく聴くとドイツ語で歌っている。時代の重苦しさをビートルズという大外刈りで排除してからユダヤ人弾圧のエピソードを紡いでいく手法。観ているこちらは身の置き所がわからなくなる。

しかし、ジョジョ少年にしか見えないヒトラーを自ら演じているタイカ・ワイティティ監督が語るところによると、21世紀生まれのアメリカ人の66%はホロコーストを知らない、という危機感がこの映画のモチーフになっていると言う。

なるほど、1940年代のホロコーストビートルズも知らない21世紀生まれへの一つの伝え方ということか。「ホロコーストものの定型」をある種の強迫観念のように上書きし続けている私を含む世代にとっては、膝を打つか激怒するかのどちらかであろう。

しかし幻想ヒトラーことワイティティ監督、ジョジョが少年から大人への階段を上る後半に於いて一気に戦争の不条理と人種差別の不毛を叩きつけて来る。従来の戦争を扱った映画と同じように描かれる悲惨は、観客の身の置き所を取り戻す。

戦争が終わり、ジョジョが恋したユダヤ人少女エルザ(トーマシン・マッケンジー)は隠れ家から外へ出る。燦々と降り注ぐ陽光。ヒトラーの幻影が視界から消えたジョジョはリーゼントヘアで英米ファッションに変貌している。見つめ合う二人の視線の先の戦後にはデヴィッド・ボウイがお似合いだ。私は再び身の置き所を失うも、ボウイがドイツ語で歌う"Hello"のサウンドにマッチングする少年少女のダンスのクールさに不覚にも感動してしまう。

時代の伝え方への果敢な挑戦に脱帽。佳作、お勧め。