映画和日乗

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「赤い天使」監督・増村保造 at シネ・ヌーヴォ

大映4K映画祭|トップ

 大映4K映画祭の一本。1966年作品。

 

 

4Kリマスター故、自分が持っているDVDよりも頗る画質良し、音声もクリア。

スクリーンで観るのは初。

DVDの特典映像で主演の若尾文子スピルバーグの「プライベート・ライアン」('98)と本作を比較していて、戦場の表現が増村保造は「すすんでいた」と語っている。つまりスピルバーグよりも先に戦場のリアルを描いていた、という事であろう。

1944年の44年後にノルマンディー上陸作戦を単なる武勇伝で描かなかったスピルバーグだが、増村監督が1939年の中国戦線を27年後にこのように描いたのを1966年当時の日本の観客はどう観たのだろう。戦後まだ20年、戦争体験者たる観客にとっては観たくないものだったと想像する。

テレビドラマも含めて何本も作られている沖縄戦ひめゆり部隊の話しもどれもが綺麗事に見えてしまい、またその感想も「二度とこのような事が」「平和は尊い」と締め括られてしまう紋切りを引き起こす。それは日本の映像表現の限界であると同時に、本当の事は観たくない、という心理がはたらくからなのだろう。

が、ここに増村保造の孤高の表現世界が存在する。若尾文子は特典映像の収録に至るまで本作を観たくなかった、どんなにフランスで賞賛されても観ることはなかったと語る。それほど撮影現場は戦場さながらのリアルだったと。増村監督は傷口に湧くウジを本当に持って来させるリアリズムがそうさせていたのだと。

 そして明日死ぬかもしれない極限で求めるのはセックスであったという提示、そこに献身する従軍看護婦たるヒロインを今の物差しで測るべきではない。本作が優れて映画的なのはその「天使の献身」が愛へと昇華するハイパーな展開にある。

 死者の認識票を個人の特定の為に集める看護婦、が愛する人の認識票は無機質な金属であってはならない、胸元の渾身のキスマークなのだ。

 時を超越した傑作。

「フェイブルマンズ」監督スティーヴン・スピルバーグ at OSシネマズミント神戸

www.uphe.com

 竜巻を近くで見たいと子供達を乗せて車を運転するフェイブル家の母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)、その邪気のない行動にスピルバーグの作品の放つ無邪気さを感じ取る。

一方、サミー(ガブリエル・ラベル)ことスピルバーグ少年の分身はハイスクールでの壮絶なイジメに反発する術を持たない弱さに、彼がユダヤ人としての出自や戦争を描く時の無慈悲を感じる。

 竜巻に話を戻すと、ミッツィの車の前を風で飛ばされたスーパーマーケットのカートが横切る。「宇宙戦争」(2005)に同じカットがあったと記憶している。その「宇宙戦争」、娘がデリバリーで取ったイスラエル料理を一口食べる父トム・クルーズが「不味い」と言い、料理が何かを娘に尋ねる。ユダヤ人なら知らない筈のない料理を父は知らない。

 父と子の断絶をしばしば作品に挟んで来たスピルバーグ。「未知との遭遇」('77)のリチャード・ドレイファスは平気で妻子を置いて宇宙船に乗り込む。「E.T.」('82)のエリオット少年の父は愛人を追って家を出て行った。

 スピルバーグと父の不在は潜在的な彼のテーマだと思い込んでいたが、本作のあからさまな、いや赤裸々と言ってもいい告白は、掴み難い母への深い憧憬と、彼女の不貞に起因する反発であった事が分かる。つまり「E.T.」の一家の逆だったのだ。

 映画の道を進むサミー、既にして彼の知る映画と映画監督の欺瞞と恐ろしさ。現実にはクソ野郎でも映画の中では演出と撮り方でヒーローとなり、イジメっ子を孤独なモテない男に描く事が出来る。クソ野郎に胸ぐらを掴まれながら映画への畏れと映画監督の孤独を悟るサミー、しかし程なく映画の神様は彼の頭上に舞い降りる。ジョン・フォード

 彼とジョン・フォードとの邂逅は自伝などで既に語られたものだが、遥なる映画への憧れを最後の最後に持ってきたスピルバーグ。前作「ウェスト・サイド・ストーリー」(2021)というリメイクはオールド・ハリウッドへの回帰という老い故の頑迷を感じたが今回、あの頃の青雲の志を忘れない、と締め括ったのは映画監督として最上の幸福だろう。

 次回作、ピーター・イェーツの「ブリット」('68)の続編!?

スピルバーグ監督による「ブリット」スピンオフ映画、主演にブラッドリー・クーパー : 映画ニュース - 映画.com

未知との遭遇」でトリュフォー、「フェイブルマンズ」でリンチとくればサンフランシスコロケでイーストウッド、出ないかなぁ。単なる個人の妄想。

大森一樹監督を偲ぶ会 in 都シティ大阪天王寺

 

 

 

神戸市中央区北長狭通2「金盃森井本店」

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with 大森一樹監督関係者

きずし、おでん各種。

大森監督の愛した店。女将さんから献杯のお酒を振る舞ってもらう。

当然この後は「れてぃしあ」へと流れる。

 

恋する女たち

 

「アラビアンナイト 三千年の願い」監督ジョージ・ミラー at kino cinema 神戸国際

https://www.imdb.com/title/tt9198364/?ref_=ext_shr_lnk

 果てさて何故に今時「アラビアンナイト」なのか、いや邦題は盛り過ぎで本作は「千夜一夜物語」でも「アラジンと魔法のランプ」でもない。魔法のランプは出て来るが、原作は英国のA.S.バイヤットによる短編とのこと。

www.asbyatt.com

 何故にアラビアンナイト、と記したが実に見事に移民問題を巡る分断とコロナ禍の世界への考察を導いていて、差別、分断、諍いの源流にある人間の寂しさ、孤独への処方が示される。与える愛こそが、という単純なメッセージではない。

 英国の学者アリシア(ティルダ・スウィントン)がイスタンブールで買い求めたガラスの小瓶から飛び出して来た大男、ザ・ジン(イドリス。エルバ)が語る3000年に亘るその人生の物語。ホテルの部屋でひたすら二人の切り返しでの語りなので観ていて少々眠気を誘うが、何百年、何千年という単位で壺に閉じ込められてしまうザ・ジン。その起因は欲すれば失うということ。仏教的な利他の概念に近いが、アリシアもそして観客である私もまたその事に気が付くのである。

 愛のかたち、愛のあり方。ロンドンのアリシアの家の隣人老姉妹の極右思想、差別意識を対立から老姉妹の孤独を癒すことで和解する術をザ・ジンから知るアリシア

孤独を飼い慣らしていたアリシアが気が付く「そばにいる人を愛するということ」。

神話から綿々と繋がる現代人の生きるための真理への考察は普遍性がある。ジョージ・ミラー、「マッド・マックス」の人がこんなにも繊細で暖かいとは。

佳作、お勧め。

 

 

神戸市中央区北長狭通3「順徳」

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「ベネデッタ」監督ポール・ヴァーホーヴェン at シネリーブル神戸

www.ifcfilms.com

 クレジットが出る訳ではないのでどんな時代の話しなのかは咄嗟には分からない、が勿論「むかしむかし」のお話し。登場人物の言葉がフランス語なのでフランス文化圏が舞台だと思ったらどうやらイタリアらしい。本作の国籍(資本)はフランスだからという事もあるだろうが、ある種の架空性を高める為の仕掛けのようだ。

 というのもキネマ旬報3月上旬号に掲載されているヴァーホーヴェン監督インタビューによると、脚本家がフィレンツェの文書館で発見した17世紀の宗教裁判の記録が基になっているとのこと。つまり実話で、それはエンドクレジットに示された「その後」からも窺える。

 それはカソリックの一大破廉恥スキャンダルだった訳だがヴァーホーヴェンがリアリズム作家ではないのは周知のところで、本作もらしさ全開、枯れたところがない。かつてスコセッシの「最後の誘惑」('88)は上映禁止運動が起きたが、本作もシンガポールでは上映禁止らしい。

 開巻から、屁に火を付ける芸人、野盗の眼窩に落ちる鳥のフンとお下劣満載のヴァーホーヴェン節が迸る。

ベネデッタ(ヴィルジニー・エフェラ)が性欲を感じると現れる蛇、その蛇を退治するキリスト、がそのキリストが十字架に掛かった自分の手に触れろとベネデッタに命じるご都合主義。人間の自然な情動を押さえつける新約聖書の不条理を嗤う。

 厳格で清廉な筈の修道院もドロドロとした権力闘争があり、性欲を巡る葛藤は崩れて倫理はすっ飛ぶ。同じくカソリックへの懐疑を作品の中に常に匂わせていたクリント・イーストウッド主演の「白い肌の異常な夜」('71)を思い出した。

 極め付けは木彫りの聖母マリア像の下半分を削ってディルドーに。処女受胎神話への懐疑、というかそんなのウソやん、というメタファーか。真面目なスコセッシよりキツイおちょくり。

 胡散臭い「キリストの嫁」ことベネデッタ(ヴィルジニー・エフェラ)とおよそ修道女など務まりそうにないバルトロメア(ダフネ・バタキア)は身も心もタッグを組んで、修道院長(シャーロット・ランプリング)をその座から追い落とすが、実は彼女達の頭上には更に汚い「男社会」が覆い被さっている事がこの一見見世物チックな騒動の底流にあるテーマであろう。

 ネタバレは封じておくが、そんな男社会の欺瞞にシャーロット・ランプリングが渾身の一擲を放つ瞬間が痛快。

 ラストの神々しい二人はアダムとイヴの創世記の時代から現代の価値観への進化の象徴か。

 ヴァーホーヴェン、これを撮っていた時は81歳だった、恐るべしその才能のスタミナ。バランス良く整った作品ではないものの下品上等、オモロい!