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「チェンジリング」監督クリント・イーストウッド at MOVIX六甲

1928年のロサンゼルス、シングル・ウーマンで電話交換士のクリスティーナ(アンジェリーナ・ジョリー)の息子が行方不明となる。数ヶ月後、息子を発見したとロサンゼルス市警がクリスティーナに知らせ、引き合わせるが子供は全くの別人。がロス市警は強引に事件解決を発表、反論するクリスティーナを拘束して精神病院に監禁してしまう。ロス市警の不正腐敗を追求する牧師(ジョン・マルコビッチ)の支援活動によってクリスティーナは救出されるが、その一方で子供20人が誘拐されているという驚愕の猟奇事件が発覚する…というお話し。史実に残る実話らしい。
開巻、大昔のユニバーサル映画のロゴデザインがモノクロで登場する。恐らくこの映画の時代設定である'20年代のものであろう。調べてみるとイーストウッド監督のユニバーサル配給は、「アイガー・サンクション」('75)以来(大半の作品がワーナー配給)のようだ。そんな「帰って来ました」というノスタルジックな遊び心とは裏腹に、このドラマは暗く、陰惨の限りだ。オープニング、モノクロに薄く着色したような独特のルックで一気に80年前の時代に引き込むと同時に、登場するアンジェリーナ・ジョリーの真っ赤なルージュが何らかの意味を含んでいるかのように主張する。腐敗権力に対して断固として主張を曲げない母なる強さの象徴、運命の流転(赤い路面電車に乗り遅れる)、陰惨極まりない犯罪の血。随所に赤が意味を持つ。そして途中から二つの線路に分かれて走るストーリーが再び一本に収斂する絶妙のストーリーテリング。凄惨な描写も逃げず、絞首刑に至ってはつぶさに見せつける強靭ぶり。イーストウッド特有の、対峙する人物同士が流れるように視線を交わし合うキャメラテクニックもここぞというところ(クリスティーナが死刑直前の犯人に面会するシーン)で展開する。「ダーティハリー」('71)、「ミスティック・リバー」('03)と繰り返し小児性愛児童虐待を憎み、唾棄する映画をつくるイーストウッドの不変の視点、主義、監督術を「いつものように」見せてくれる傑作。3,000円でも惜しくない、現代最後のアメリカ映画の伝道師を同時代で見続けられる幸福を噛み締めたい。お勧め。