映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「スプリング・フィーバー」監督ロウ・イエ at シネマライズ。

天安門 恋人たち」('06)をつくった為に中国当局より5年間の映画製作・上映禁止処分を受けたロウ・イエがその禁を破り密かに製作した。
どこかの森の小屋でもつれあう男同士の恋人達。窓の外には雨。小屋の外に雨だれしたたる水たまりに浮かぶ蓮の花がくるくるとたゆたう。画面の上手、下手に縦一杯に浮かび上がる漢字のタイトル、そして漢詩
手持ちのデジタルカメラ(恐らくかなりの小型)は構図や明るさに構うことなく、彼等の恋の熱情のままに動き回る。そんなオープニングで観る者は中国の今の空気を嫌がおうにも感じさせられる。
男同士の一方、南京の古書店に勤めるワン・ピン(ウー・ウェイ)には妻がいて、その妻は夫の浮気相手を探る為に探偵を雇う。探偵は浮気相手として旅行代理店に勤める男ジャン・チョン(チン・ハオ)を突き止める。妻は夫ワンを責め、ジャンの会社にも怒鳴り込む。面倒に思ったのかジャンはワンとの連絡を絶つ。一方、探偵は縫製工場に勤める恋人(タン・ジュオ)がいるにも拘らず、ジャンに惹かれて行く。ジャンと探偵は遂には関係を持つが、ワンはかつてジャンと愛し合った森で自殺してしまう…そしてジャンは探偵とその恋人を連れて小さな旅に出る…というお話し。
公式サイトの監督インタビューを読むと、いかに今の中国に於いて表現の自由が制限されているかが分り、昨今の政治情勢も含め、理不尽に弾圧されている人々の悲痛な叫びに怒りを覚え、胸が痛む。
しかし、本作を観るとスポンサードや様々なコードにがんじがらめにされている今のどの日本の映画よりも自由闊達であるように見えるのだ。市井の人々の声、愛する者同士の繊細な純情、そして中国という国に生きる閉塞感、自由への渇望を起承転結的お約束を捨て、漲るパッションで疾走している。縦横に揺れまくるデジタル映像はパーソナルな体温、気温を伝える。その手法は「誰にでも出来そう」だが、この渇望のパッションはロウ・イエというこの監督が代表する現代中国にしか表現出来ない孤高である。漢詩のセンスに感銘。
佳作、お勧め。


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