映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

「ツリー・オブ・ライフ」監督テレンス・マリック at 109シネマズHAT神戸

 テレンス・マリックのオリジナル脚本、主演のプラッド・ピットはプロデューサーを兼任している。
 アメリカの都会ではないどこか、登場する車や人物の出で立ちからすると1950年代後半から'60年代初期か。ある夫婦(ブラッド・ピット&ジェシカ・チャスティン)とその三人の子供達の平凡な家庭の、次男坊の死の知らせから始まる物語。クローム色というか鈍色がかった美しいが寂しいルックのキャメラは名手エマニュエル・ルベツキ撮影監督。クルクルと縦に横に回るステディカムの映像は、やがて見ているこちらの意識を渦潮の中に巻き込むかのように起こっている物語とは別の世界へと急降下させて行く。丁度深いプールの底から空を見上げているような感覚にさせる時間が続き、宇宙も恐竜の時代も辿った末に、一人の凡庸な男とその長男の確執へと帰還する。
 音楽家の夢破れ、何かの工場に勤め、朝夕の礼拝を欠かさない父親。神経質に息子達に言葉遣いと礼儀作法をしつけ、身を守る為の格闘技も教える。教訓めいたことを自信たっぷりに語る反面、「自分のような人間にはなるな」とコンプレックスをあらわにする。子供の反抗は絶対に許さず、力でねじふせる。アメリカに限らず、どこの国にもいつの時代にもいる凡庸さだ。そして美しく、決して夫には逆らわない母親。夫が出張に出かけると子供達と一緒に走り回ってはしゃぐわかり易さだ。次男の死は自殺なのかそれとも他の原因なのかは一切語られない。現代の都会に生きる成人後の長男をショーン・ペンが演じているが、彼の何やら深刻そうな苦悩も真相が見えない。語られない描かれない部分に、観る者の人生を重ねて自由に想像せよということか。後頭部に皮膚の病を持つ少年も象徴的でありこそすれ、謎だ。
 キリスト教に依拠した神への問いかけも、深淵というよりは市井の人々のささやかな希望のようだ。
寡作の哲学者テレンス・マリック、眩惑するルベツキの映像により壮大で深淵な叙事詩のように見えてしまうが、その実は私小説的でセンチメンタルな「どこにでもある中流家族のささやかな悩み」に過ぎないんじゃないかな、と。
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