映画和日乗

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「J・エドガー」監督クリント・イーストウッド at 109シネマズHAT神戸

またしてもイーストウッド最新作にまみえることが出来るのは映画を見続けている者にとって何ものにも代え難い幸福。今回はFBI長官J・エドガー・フーヴァーのFBI在籍48年間を描く。
例に依って音楽を兼任するイーストウッドによる品の良いジャズ・ピアノからすっと入って晩年のフーヴァー(レオナルド・ディカプリオ)が伝記を口述筆記させているシーンから始まり、一気に1919年に遡る。老年時代のフーヴァーはジェイムズ・キャグニーとオーソン・ウェルズを足して二で割った感じだなと思っていたら本当にキャグニーのフィルムが登場する。1920年代〜30年代、官僚としてのし上がって行くフーヴァーを限りなく黒に近い濃紺が支配するルック、アメリカの歴史の影を描くことへの比喩なのか、容赦なく陰翳がつきまとう暗さで描かれる。その暗さはフーヴァーの内面の闇としてゲイ、極端な母親依存、レイシズム、誇大妄想的反共産主義というキャラクターに投影される。イーストウッドは彼の複雑な凡庸とも呼ぶべき小心ぶりと自己顕示欲をあぶり出す。
脚本のクライマックスは大西洋単独横断飛行を果たした英雄リンドバーグの息子の誘拐殺人事件の犯人逮捕とその裁判であろう。例に依ってイーストウッドは無惨な遺体をゴロンと見せ、捕まった犯人は白黒はっきりしない無表情ぶりを押し通す。このいつも通りの陰々滅々ぶりにニヤリとしてしまう。極めつけは母親の死後、慟哭しながら母親の服を着て身悶えるフーヴァー、そして全裸で斃れ醜悪な肥満体を晒すフーヴァーを見つめる公私共にパートナーだったトルソン(アーミー・ハマー)の視線。醜悪を醜悪として描き、偽善と安い感動を断固拒否する御大の不変ぶりにこれまたニヤリ。
己の無知を恥じずに「時代背景が説明不足」などとほざく極東島国の幼稚な感想文など糞食らえ"Go ahead make my day"だ。本物の映画好きかどうかを試される一本。
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