宮本輝の原作は未読、キネマ旬報3月上旬号の原正人EPへのインタビューによると'99年に刊行された本書を2000年に読み、映画化を画策したとのこと、つまり13年越しの企画ということになる。
相米慎二監督「あ、春」('98)は佐藤浩市の家に会った事もない父親がやって来る話しだったが、なんとなくイントロダクションから全体の雰囲気が似ている。そういえば成島氏は相米監督の助監督だった。
「あ、春」は会った事もない父親と同居する話しだったが、本作は他人の子供を預かり同居する話し。
「50歳なので」と老眼鏡を掛ける度に呟く遠間(佐藤浩市)の会社でのストレス、娘とのディスコミュニケーション、取引先の富樫社長(西村雅彦)とのややうっとおしいお付き合い、陶器店の美しい店主への恋慕…と日常が綴られどちらかというと淡々と進行して行く。この辺りの仕掛けは細密な演出で、その後小池栄子扮する我が子を虐待する母親の登場で雰囲気は一変する。
離婚した両親を客観的に見つつ、世間的視野がまだ狭い20代の娘(黒木華)、画面には登場しないが台詞で語られるリストラされて自殺する40代、そして子を捨てる喜多川(小池栄子)とその男(中村靖日)の30代。自己中心で倫理観が欠落しているこの30代達がモンスターのように描かれる。'80年代前半生まれ、最近の猟奇的な犯罪の犯人にこの世代が多い。バブル経済とその崩壊は人的な負の遺産も生んでいるのだとも捉えられる。
いろいろあって遠間達はパキスタンのフンザに渡る。ここからまたトーンが一変、傾斜の急な砂丘をもがきながら登ろうとしても砂が落ちて来るばかりで前に進めない富樫…彼の置かれた状況とシンクロするメタファーは分り易過ぎる。
こうした宮本輝の現代日本に対する憤りに近い提言が前面に出るものの、希望を感じさせるラストにはほっとしなくもない。