映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「ザ・マスター」監督ポール・トーマス・マスターソン at TOHOシネマズ西宮OS

南の島で1945年の太平洋戦争終結の報を聴く主人公フレディ(ホアキン・フェニックス)、性衝動が押さえ切れない様子だがそれにアルコール依存とファナティックな暴力衝動を兼ね備えている。この開巻、観た事の無い広がりと深みを湛えた映像が展開するが資料によると65ミリフィルム(そんなのあるんだ)で撮影、70ミリにブローアップしてからデジタル変換しているらしい。ちなみにこの映画のオフィシャルサイトのURLはthemasterfilmとなっていて、フィルムへの拘りが感じられる。
さてそのフレディ、本国へ帰還して泥酔のあげく目が覚めた豪華客船の一室で「マスター」なる男(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会う。宗教のようだが自己啓発セミナーの色合いの強い「プロセシング」なる施しを操る団体の主宰者である。粗暴なフレディと一見穏やかそうなマスターはまるで磁石のプラスとマイナスのように惹かれ合う。周囲はフレディが起こすトラブルに危機感を募らせるが、宗教家然としていても突如ファナティックに怒鳴り散らすマスターと、父子的関係と同類的シンパシーの合いまった関係が続いて行く…というお話し。
「マグノリア」('99)に出て来たマッチョ主義を啓蒙する伝道師、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」('07)に出て来る偽善的な宗教家…そして今作の催眠術を操る似非宗教家。P.T.アンダーソン監督の重要なテーマのひとつがこうした宗教的良識の胡散臭さとそれに縋る人間(米国人)の弱さ、付け加えれば浅はかさであることが本作で決定的に裏付けられた。キリスト教万歳の「フライト」を観た後なので溜飲を下げる思いだ。
が、この映画はそういうことだけがテーマなのではなく、戦後間もなくのアメリカが、あの頃のハリウッド映画に描かれていたような煌びやかさのカケラもないくらい生きにくい時代であり、悪夢の中を彷徨っているフレディと、嘘まみれの世界の中で踊っているマスターという人物(とその親族)に象徴させているのである。
フィリップ・シーモア・ホフマンの出ている映画にはずれなし。美しい悪夢、佳作、お勧め。


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