映画和日乗

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「れいこいるか」監督・いまおかしんじ at 元町映画館

reikoiruka.net-broadway.com 日本映画の予告編を見ていてつくづくうんざりするのは泣き叫ぶ女子高生、キレてどなる若者のカットが高い確率で挟まれている事だ。あれは何かお約束で入れなければならないのだろうか。ヒットの要因の一つなのだろうか。そういうカットがあるだけで観る気が失せるのは私だけか。

 本作「れいこいるか」には1秒たりともそんなカットはない。が、泣き叫んだであろう、掴み合って怒鳴りあったかもしれないであろう時間が観る側の想像に委ねられている。そしてそれらの葛藤や相克の前と後だけが描かれている点が潔く、この映画はそこにこそ人間に備わった生きようとする力があることを教えてくれる。

 神戸の震災で我が子を亡くした夫婦。妻の伊智子(武田暁)は震災当日不倫相手とのベッドの中にいた。夫の太助(河屋秀俊)は何も知らず前夜「お母ちゃんまだ帰ってけえへんな」と子供をあやしていた。そんな二人は別れ、時が経って行く。鷹取の立ち飲み屋で母親と働く伊智子、太助の父親は金もないのに日々飲みに来ている。

 太助は近所の工場で働き、伊智子はフリーライターと再婚している。5年前の不倫相手は男であることをやめてスナックを営んでいる。太助は作家志望だった。なぜか物書きを好きになる伊智子、やがて病で視力が落ちて行く。その次の男はシナリオ作家。結婚の約束をしたのに蒸発する。

 伊智子は失明する。そして太助にもまた不条理な罰を受ける事件が起きる。

 兵庫区から長田区、震災で姿が一変してしまった下町が主舞台。立ち飲み屋、スナック、簡易宿泊所湊川と新開地の間にある地下の卓球場。そんなロケセットでの人物の出し入れだけなのに身につまされるほどの哀しみと優しさに満ちたおかしみを滲ませる。

 刑務所から出て来た太助がスナックを訪ね、ゲイになった元妻の不倫相手に労われるように抱きつかれる。それを拒否する太助、許してはいないのだ。ここはジンと来た。 白杖を突く伊智子が元住んでいた家の路地に佇むと亡き娘の声が聴こえる。胸が痛い。

 再び時は経ち、伊智子の視力が戻って街角で太助と再会する。罰の終焉、神様も「もう許したろ」か。立ち飲み屋のタイガースカレンダーは2017年だ。太助の父は死に、伊智子の母は認知症かも知れない。

 人生に元通りはない。別れて、再会した男と女はお互いを想いながら生きて行く。ホロリとさせられ気持ちがスッとする佳い映画だった。お勧め。

 脚本が掲載されている月刊シナリオ9月号買った。