www.imdb.com ごくたまに好みの映画というのに出くわす。優れた映画、観るべき映画は今でも幾つかあるが、ずっと見つめ続けていたいと思わせる「好きな映画」はもう殆どない。
しかし138分、1994年のひとつの韓国人家庭の日常を描いたこの映画を観終わって、映画というものに絶望することを先延ばしにしようと思った。
ソウル郊外の団地に住むウニ(パク・ジフ)14歳。兄と姉がいて家業は餅屋。
今の日本でもなくはないであろう厳然とした家父長制度の下、父は長男をソウル大に入れるべく発破をかけ、夜遊びをする長女を罵倒する。諦観に満ちた母だが、夫の浮気を見抜いて電飾を投げつけ怪我をさせる。しかし翌日にはソファで二人並んでテレビを見てクスクス笑っている。
餅屋は何かの祝祭日には一家総出で餅を作らなくてはならない。製造・販売の家内制手工業、ギスギスしているかのような家族だが、黙々と餅の包装を手伝う。そして父は夕餉の折に大声でクレーマーをなじる。
ウニは親友と共に漢文の塾に通っていて(そういう教室がかの国にあるのは知らなかった)、そこに赴任して来たヨンジ(キム・セビョク)という先生に懐く。通っている中学の担任は知性のかけらも無い陰湿な男だ。
キム・ポラ監督は一人一人の女性を細部に亘って見つめる。安易に感情を表さない、愛想笑いも無い。この映画に登場する女性が感情を爆発させることはあってもさめざめ、シクシク泣くことはない。
一方、号泣するのは男だ。
ウニは左耳の下に腫瘍が出来、手術の必要があると医師に告げられる。病院のソファでウニと並んで座っていた父は不意に泣き出す。
ウニに対して暴力を振るい、父に対して酷く従順という一見単純な人物として現れる長兄。キム・ポラ監督はこの人物を正面から捉えない。何度か描かれる食卓でも顔が隠れている。しかし彼がウニの鼓膜が破れるほどの暴力を振るうショットで初めて顔をきちんと捉える。暴力はそれを振るう男のその時の顔で記憶されるのだ。
突然、黒地に白の小さな文字で示される年月日。1994年10月21日。
www.shippai.org 聖水大橋の崩落。長女の通学路であることを知っていたウニは慌てて家に電話をするが、長女はいつものバスに乗り遅れて無事だった。そのことを知って号泣したのが長男。観る者は一旦人格を規定されかかった暴力を振るい父に従順な男の別の一面をみる事になる。
キム・ポラ監督はこうした人間の多面性を描く。
家では黙々と食事を作り、餅屋で働いているだけに見えた母が、高台でぼんやりと空を見上げている。ウニが「お母さん」と何度呼びかけても聴こえない。娘に見えていた母と、そうではない一人の女。
ウニの親友は平気で裏切り、ウニを姉のように慕っていた下級生はある時期から不意にウニを無視する。ウニもまた「付き合って120日記念」なんてカセットテープまで作っていた彼氏をあっさり捨てる。言葉では説明のつかない多面性がむしろ真実性を帯びた人間の複雑さを描き出す。
ラスト、ウニはずっと目の前の小さな世界を見つめ続ける。一日一日死に向かって行くのが人生、あの凡庸な担任教師の言葉にどう抗うのか。慕っていたヨンジ先生の存在と不在が彼女の未来を支えて行くのであろう。深い感動を禁じ得ないその眼差しの美しさであった。
傑作、必見。