映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

「ヤクザと家族 The Family」監督・藤井直人 at 109シネマズHAT神戸

www.yakuzatokazoku.com 身も蓋もないタイトルと取るか修飾を嫌ったストレートと取るか。

 さる米国資本の動画配信会社勤務の人によると、コンテンツとして日本映画に求められるジャンルはヤクザとポルノとのことだ。これは私が直接聞いた話だ。

 ポルノをAVと言い換えるとなるほどこれらは日本固有のジャンルである。本作もニーズがある前提で企画が実現したという事は想像に難くない。

 「孤狼の血」('18、続編が完成したそう)が東映配給で広島が舞台、とかつての実録ヤクザもののファンの取り込みを狙った企画でその狙い通りの興行成績となったのに対して、本作の「新聞記者」('19)製作チームが同じ轍を踏む筈はない。

 従来型のヤクザ抗争だけを描く作品ではなく「その後のヤクザな人々」を描くという「古い革袋に新しい酒」がコンセプトなのだろう。

 東京でも大阪でもなく、勿論広島でもない架空の地方都市(劇中車のナンバーは静岡ナンバー)が舞台。1999年に始まり、2005年、2019年の3年3部構成。キャメラの動き、ルックをその年毎に変えている凝り方は秀逸。

 一方、1999年に始まるケン坊と渾名される山本(綾野剛)が求める擬似家族の長としてのオヤジ希求は従来型の古めかしさである。そのオヤジ組長柴咲(舘ひろし)は独特の立ち振る舞いで面白い。従来型オヤジ像を演じながらどうしても舘ひろしダンディズムが抜けないという事が化学反応を起こしている。敵対する加藤組長(豊原候補)の方が数段リアルな現在型ヤクザだ。

 山本が目をつけた女(尾野真知子)へのコミュニケーション不全、なんだかんだ言ってこの粗暴な男について行くお嬢ちゃん、山本の兄貴分(北村有起哉)への忠義など営々とつくられてきたヤクザ映画の様式を踏襲している。

 「新しい酒」に入れ替わるのは山本が15年の懲役を終えて出て来た2019年からである。

 20年前昼から上等な寿司を取っていた柴咲オヤジの組は、山本の出所祝いに仕出し弁当の膳しか出せなくなっていた。ヤクザ=反社への社会の締め付けは警察だけではない事が描かれる。

 柴咲の死、そこに縋る山本と組員達。誰一人本当の家族を持たない彼らは拠り所を失い彷徨うしかない。山本は微かな希望を抱いて本当の家族を持とうとするがネット社会が許さないという展開。彼は哀れな浦島太郎で誰からも歓迎されない。

 副題にわざわざThe Familyとあるがそんなに必死になって声に出してまで家族に帰属することが日本人の幸福なのか。

 兄弟の契りを抱き合って愛でながら自滅する彼等は個ではなくふたつでひとつ、あるいはFamilyでひとつになりたかったのか。

 アウトローが実は個ではないという皮肉。そして寂しがり屋さん。個ではなく孤か。

 この二十年、ヤクザに限らず家族の外へ向かおうとしない日本の若者達の内向きを私は肯定しない。