東京出身の監督による「僕の」「私の」「東京物語」は1980年代は森田芳光、'90年代は市川準だった。森田はモダニズムで市川準はノスタルジーと幻影としての東京だった。これ以降の世代で記憶に残る「私の東京物語」は無い。山田洋次もヴェンダースも東京生まれではない。
森田芳光「家族ゲーム」('83)で殺風景な団地に住む予め壊れている家族を、家庭教師という闖入者が「あんたら壊れている」と気づかせる。
市川準「東京兄妹」('95)は古き良き下町に住むあり得ないほど親密な兄妹という「幻影としての家族」を描く。
2025年、突如現れた団塚唯我監督による「僕の東京物語」たる「見はらし世代」は、スクラップ&ビルドによって独走的繁栄を築いてきた東京の、止めどない破壊によって失われたものを提示する。
建築家ハジメ(遠藤憲一)は都市開発=金儲けを是として、街の記憶を消し去るほどに作り変えてしまう。
その代償は家族の喪失で、「水掛け論だ」と用法を間違えているような言葉で家族の絆を遮断する。よって妻(井川遥 )を喪う。
が、離れ離れになっている娘・恵美(木竜麻生)の婚約を機に、息子・蓮(黒崎煌代、好演)からのメッセージを受け取って、十年前に行った最後の家族旅行の場所へ赴く。
そこは十年経っても変わらない、変哲もないサービスエリアの食堂。人が生きる場所を壊し続けた男が帰る、変化しない場所という対比。
その食堂の電球を巡る伏線の回収は、なるほどそう来るかと。溝口健二「雨月物語」('53)が立ち現れる。
ハジメ氏ここで泣いて詫びるだろうな、というところでその通りになる。ロングショットを多用する人物配置も溝口由来なのかな。
電動キックボードで走る人物が、映画の初めの方から度々街の風景の中にさりげなく忍ばせられていて、何の意味かなと思っていたらこのラスト、か。また次の世代がここにいる。
エキストラの演出が秀逸、感心した。
2025年、暫定だけれど最も刺激的な映画だった。
