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「ボレロ 永遠の旋律」監督アンヌ・フォンテーヌ at シネリーブル神戸

映画『ボレロ 永遠の旋律』公式サイト

 

 言わずと知れた「ボレロ」を作曲したラヴェルの物語。

監督のアンヌ・フォンテーヌは「夜明けの祈り」(2016)という傑作がある。

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 映画的センスは「夜明けの祈り」で充分堪能したが、本作でも映像デザインのセンスは抜群。世界中で今もなおアレンジされて演奏されている「ボレロ」のドキュメントをタイトルで使い、その後一気に時代を1927年へと誘う。

 重工業の工場で文字通り「機械的に」共鳴する騒音を「音楽」として取り込むラヴェル(ラファエル・ペルソナ)。クセの強いロシア人バレリーナ、イダ(ジャンヌ・バリバール)は半ばストーカーのようにラヴェルに纏わりつき、自作の舞台の曲を依頼する。

 男前のラヴェルの周りには複数の女性が付かず離れず現れるが、その立場、役割りはあまり良く分からない。ラヴェルも性的な行動を一切取らず、娼館でも娼婦に手袋を嵌めさせるだけで、その衣擦れの音を凝視ならぬ凝「聴」する。

 ゲイ、と強調するような描き方をしない、女性を彼の従者のように描かない。監督アンヌ・フォンテーヌの矜持なのかも知れない。

 日常に潜むあらゆる音、不規則、規則的を同時に取り込むリズム。更に洋の東西を問わない感覚を捻り合わせて「ボレロ」が誕生する過程が微細に描かれる。

 

 「ボレロ」の初舞台リハーサルはダサくて下品、ラヴェルとイダは決裂するも、何とか初演に漕ぎ着ける。これが、あんまり良くは見えない。遡ること40年以上前のルルーシュ「愛と哀しみのボレロ」('81)のヌレエフを模したジョルジュ・ドンの見事な踊りと舞台を既に知っているせいか、全体的に小ぢんまりしている印象。リアルにはそういう事だったのかも知れないが。

 

 

 「ボレロ」以後のラヴェルは記憶障害を患ってしまう。本作からはそれが所謂アルツハイマー症候群なのかどうかはっきりは描かれていない。そして第二次世界大戦前夜の1937年に62歳で没。

ラストのラヴェル自らの指揮による「ボレロ」を白バックで現代のコンテンポラリーダンスとコラボレーションする時空の超越は、ちょっと乗れなかった。

 とはいえ、本編で繰り返し聴く「ボレロ」は、時代に囚われず自然界も音楽のジャンルも取り入れた稀有なる「永遠に変化し続ける曲」なのだ、と思い至る。

 

 お盆の劇場は満席、観終わってロビーに出ると長蛇の列。当たってるんだ。