2015年公開のフランス映画「エール!」の米国リメイク。
www.imdb.com こちらは未見だが、近いうち何らかの形で観たいと思う。
ボストン郊外の漁港の町が舞台。ロッシ一家は漁業が生業。
どこだろう、と検索してみるとマサチューセッツ湾ではタラ漁が盛んなようだ。
本作でもタラ漁やその漁獲量と価格を巡る問題が出て来る。
こんな記事を見つけて、膝を打つ。
history.husigi.comタラは英語でCod。本作のタイトルCodaはChildren Of Deaf Adultsの略。
耳の聴こえない親を持つ子「CODA」は可哀想なのか。研究者が直面した現実 | ハフポスト
もとのフランス映画では酪農家。監督・脚本のシアン・ヘダーはマサチューセッツ州出身、CODAというタイトルはマサチューセッツのタラに由来している可能性は大。
さてシャレはともかく、父・母・長男・長女のロッシ家は長女ルビー(エミリア・ジョーンズ)だけが耳が聞こえ、手話をものして両親達の通訳の役割を担っている。
早朝から漁に出て、高校に通うハードな生活だが陽気な家族が大好きで苦にならない。が、学校で合唱部に入った事で様々な軋轢が生まれる。
合唱部の担任V(ユージニオ・デルベス)が宮本亜門ばりのアグレッシブな指導でルビーの歌の才能を見いだす。
歌の道に進みたいルビーは徐々に漁に出なくなる。ペアを組んでデュエットする彼氏も出来た。彼女が漁に出ない事で父と兄の船は沿岸警備隊に捕まってしまう。警告のサイレンが聞こえなかったから。
家族のルビーへの依存、子離れ出来ない両親。
高校最後の合唱コンサート。
ルビーの熱唱が聞こえない家族。ここの演出ではっとなる。
私は一体どれだけ聾唖者の置かれている立場を知っていたのだろうか、と。
家族達は周りの感動する様子でルビーの実力を知る。手拍子が合わない切なさ。
この辺りから涙が止まらなくなった。聾唖の父がなんとかしてルビーの歌を聴こうとして取った方法に深く感銘を受けた。
マーベルやディズニーアニメは観ない私なので、9.11以後のアメリカ映画が、どんな映画でも社会や個人の心の闇というものを潜ませていたと断言はできないものの、宗教や人種、階層の断絶は常にそこにあったと思う。
が、本作「CODA」には闇はない。聾唖の人々に対する差別という影はあるものの、そこに光をあてて影を消して行く。
エンディングの爽やかさは近年稀にみる感動。
傑作、お勧め。