英国の海辺の街の映画館。かかっている映画は「オール・ザット・ジャズ」('79)と「ブルース・ブラザース」('80)。息を呑むほどに美しい名匠ロジャーディーキンスのルック。優しいピアノの旋律。全てが相俟って開巻1分ほどで涙が出かかる。
この映画館「エンパイア」でかけられている映画から時代が窺える。1980年。
そこに働く人々の中の一人、ヒラリー(オリヴィア・コールマン)。平凡そうなおばちゃん。が、劇場支配人(コリン・ファース)にまるで朝の挨拶のように体を求められるのが「日課」。従業員はそれを知ってか知らずか見て見ぬ振り。
この映画館に一人のアフリカ移民の青年スティーヴン(マイケル・ウォード)が就業する事から巻き起こる人生模様。
キネマ旬報3月上旬号の特集記事によるとヒラリーは監督サム・メンデスの母親がモデルとのこと。メンデス監督の母親は精神疾患に苛まれていたとのことで、ヒラリーに投影された人物像と1980年代の英米の映画群はメンデス監督の個人史と見て良いだろう。
ヒラリーの砂を噛むような日常がスティーヴンの登場で色めく過程が素晴らしい。ただ前を歩く彼を見つめる喜びの視線、がそれはすぐに彼に対する人種差別による嘲りに対してなす術がない自己嫌悪へと変わる辛さ。見事だ。
「炎のランナー」('81)のプレミア上映に奮い立つ支配人。が、事件はその晴れの舞台で起きる。心が壊れてしまったヒラリー。それを機に彼女は映画館を辞める。
時が経ち、海辺で再開するヒラリーとスティーブン。彼のちょっとしたわだかまりを感じさせるところがが良い。
ヒラリーは復調し、映画館に復職する。時代はサッチャー政権、経済構造改革で失職した労働者による移民排斥は「カセットテープ・ダイヤリーズ」(2019)でも描かれていたが、あの映画と同じく暴動に巻き込まれるスティーブン。
かつての「関係」を乗り越え、絆を紡ぎ出す二人。スティーブンの旅立ちに分断と孤独の世界に光が差す。映画館に勤めていながら映画を観たことがないというヒラリーに、映写技師が観せる映画はハル・アシュビーの名作「チャンス」('79)。
屋敷から出た事がない庭師のピーター・セラーズが知った外の世界。ヒラリーの人生にシンクロするそのチョイス。何と粋で、上等な映画なのだろう。もう泣けて泣けて仕方が無かった。真の大人の「ニュー・シネマ・パラダイス」。1980年代、フィルム映画時代の最後の栄光。
Empire Of Light、The Lightではない。映写機の光、フィルムの光と暗闇、希望の光、ラストのプラタナス並木に注ぐ陽の光。ヒラリーとスティーヴンの心の闇に灯る光。
様々な意味を含むLightだからこそ。傑作、お勧め。