オープニングのタイトルデザインからワクワクさせてくれて、轟音響のロックで突き進む。そのテンポや良し。
シングルママの奮闘記、という単純さをいちいち裏切って行く小気味良さ。
出産したばかりの赤子は義母が面倒を見る代わりに、産んだ母はすぐ働かされる、それが家内制手工業(ここではクリーニング店だが)の常識だ、といきなり歪な時代性を提示する。
その時代とは1977年から'80年にかけて。
舞台は静岡、ルックとしての時代性をどう見せるのかと興味があったが、極力作り込まず(色んな事情で作り込めなかったのは良くわかる)、むしろそれを家族や社会の形態を言葉で表すことで物語る。
富士子(片山友希)の周囲の男達がその時代性を象徴する。全員ヘビースモーカー、そして総じて女性を見下している。富士子の兄がシンボリックなまでにニッポンの男尊女卑的システムと閉鎖的家夫長制を墨守しているが、そういえばついこないだまで自分の身内にも似たような人がいたなと胸に刺さる。
富士子は保険の外交員になるまではサンバラ髪で、それはいつも濡れているように見える。雨風に晒されている時もあれば、クリーニング店の湿気の時もあれば、孤軍奮闘して汗水垂らしている時もある。濡れた髪は涙を堪える彼女の心の有り様に見えた。
その疾風怒濤の前に弱く幼い男達は敗北して行く。
衣食足りて、の日が来た富士子にプロポーズする男、俊雄(橋本淳)が現れる。
結婚して地元で平凡に生きるという俊雄の選択と提示を、富士子は逡巡の末選ばない。
俊雄は街を離れる決心をした富士子を爽やかに見送るが、富士子に泣いて縋って土下座して引き止めたらどうかな、と思わなくもなかった。
見終わってふと思い出したのは今村昌平「にっぽん昆虫記」('63)。あれの'70sロケンロール版かな。木村太一監督のこれからに期待。
