写真家・深瀬昌久について本作を観るまで寡聞にして無知であったが、観ている途中であれ、見たことあるぞと記憶が喚起されたのは季刊「映画芸術」の表紙。
1989年か。
あらためて書棚から引っ張り出してパラパラ捲るとつい熟読してしまう。
荒井晴彦と長谷川和彦の対談、我らが大森一樹はこれからゴジラを撮る直前のようだ。
若松孝二も崔洋一も公開される関係者の新作について談話してる。阪本順治「どついたるねん」が絶賛されている。(敬称略)
'89年深瀬氏は存命で、想像だけれど新宿ゴールデン街で上記の映画人と邂逅していたのかも知れない。
彼が通った「南海」という店には二、三度行った記憶がある。
そこに深瀬氏の痕跡があったかどうかは全く記憶にないが、本作では実際の店舗でロケされているようだ。
深瀬昌久(浅野忠信)は青年の頃、父親(古舘寛治)から理不尽な支配下に置かれていた。暴力、過干渉、暴言。
昌久は母の後押しで上京して写真家を目指す。本編では程なく擬人化したカラスが現れ英語で昌久に語りかける。昌久は日本語で応える。父から逃げられない昌久にカラスは「殺せ。俺なんか父親の目を潰したぞ」と応える。ああギリシャ神話のエディプスか。
エディプス・コンプレックスはずっとこの映画のテーマとして通底していて、あれほど忌み嫌っている筈なのに北海道に帰郷しては父親と食卓を囲む。
剥がしきれないコンプレックスは似たような境遇だった私個人にとって心情的にシンクロするので、古舘寛治が登場する度に頬を打たれるような暗鬱な気持ちになってしまった。
妻で被写体の洋子(瀧内公美)はあの時代のファムファタールを体現している。男性目線との誹りはあるやも知れないが、その一元的に捉えることなど到底できない生命体として、昌久のカメラのファインダーは無意識に反応したのだろうことを窺わせる。
個人的に幾つかの断片的要素がシンクロしてしまう不思議で奇妙に縁を感じる映画だ。ダメ押しはラスト、昌久の入院している病院の表札が「白羽病院」となっていたことだ。少しだけ動く浅野忠信の顔のアップ、毅然と病院を出て行く滝内公美、それぞれの表情が良い。
