映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「Single 8」監督・小中和哉 at シアターセブン

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 J.J.エイブラハムスの「SUPER 8」は2011年か。

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 この時も書いているが8㎜フィルムにスーパーとシングルがあることを知っている世代は限られている。

 そして本作は「SUPER 8」と同じく1978年頃を時代背景に、シングル8で映画をつくる高校生達を描く。

 小中和哉という人は私と同世代で「くまちゃん」という映画が私の「She's Rain」と同時期に公開されていたのを覚えている。それはさて置き、本作を観て高校時代から一貫してSFというジャンルに拘って映画をつくっている特異な作家である事が分かる。

 さて、1978年を現代で、しかも乏しい予算で再現する苦労は計り知れず、それでも細部への拘りが楽しい。まず男子のヘアスタイル。あんな感じだった。「ロストケア」よりちゃんとやっている。カメラ店もそれこそ富士フィルムのコマーシャルみたいなあの感じがよく出ている。


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 現実の時間は瞬時に死滅するが、記憶は残る。その記憶もやがて消え去ってしまう。

しかし記憶と結びついたフィルムというものはそれに携わった人全ての人生を記録する。

 8㎜映画は自由な表現と不自由な再現が共存する。解像度が悪い分、ありゃ思っていた映像とずいぶん違うと落胆する事が最初の印象である。

しかし、映画づくりの共同体がそれを逆手に取り「これは宇宙船なんです」と何がなんでも観客に思い込ませる傲慢と稚気が、作り手と観客の共犯関係を結ぶ。

我々がデジタルの時代を迎えた時、あまりにも何もかもベタっと映ってしまうことに落胆したのは、傲慢と稚気に溢れた手作り映画の概念が崩れてしまったからだ。

 本作の主人公広志(上村佑)がシングル8のファインダー越しにヒロイン夏美(高石あかり)を見つめる8㎜の映像は青春の記憶として永遠に彼の脳裏に残る。その記憶がフィルムの色彩である事の幸福を噛み締める。あの日の自主映画少年の共通の体験でもある。僕らはその時幸せだった。わざわざ二度出て来るカレー屋での食事も幸福感に溢れている。

 ラスト、映画の完成披露に現れないヒロイン、大森一樹監督「暗くなるまで待てない!」('75)と同じだ。

「暗くなるまで」の映画青年は「もっと良い映画に出るの」と去って行ったヒロインに言う「こんな良い映画があるもんか」。

女という生き物は太古以来どうしてこうなんだろう。

いやそれでも僕らには映画がある、とそこにとどまる彼ら。学校の屋上で。

吉田大八監督「桐島、部活やめるってよ」(2012)のゾンビ映画をつくる高校生達も学校の屋上で決意を語っていた。

 8㎜カメラのレンズを世界に向けてしまった少年達は、好きな女の子を撮る事の幸福を手に入れる代わりに必ずや何者かに彼女を奪われ、その失恋を学校の屋上で悟り、全て見かえしてやるぞ、と映画への道を進む。それは宇宙の法則なのかも知れない。

 佳作、R50+。