映画和日乗

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「スープとイデオロギー」監督ヤン・ヨンヒ at シアターセブン

soupandideology.jp

 「ディア・ピョンヤン」(2005)「愛しきソナ」(2009、未見)に続くヤン監督の私的ドキュメンタリー。

 私的、だが故郷の家族にキャメラを向けることが国家=イデオロギーへの無謬を突く同時性を獲得している。

 先にこの番組を見ていたので、ヤン監督の母親が父親よりも熱心に北朝鮮シンパで総連活動家だった理由は理解していた↓

www.nhk.jp

 済州島の島民虐殺事件について本作ではアニメーションでかなりデフォルメされているものの分かりやすく解説している。また「チスル」(2012)という映画があることは認知していたが未見なのでいずれ是非観たい。

映画『チスル』公式サイト

 そういった朝鮮半島を巡る負の歴史が大阪市生野区に生きた家族に重くのしかかる。劇映画「かぞくのくに」(2012)に於いて、ヤン監督は朝鮮総連へのぬぐい難き不信と怒りを叩きつけていた。本作でも両親が信奉する北朝鮮の国家体制への忠誠が「仕送り」「献金」という形で顕になる。そういえば「月はどっちに出ている」('93)にも「仕送り」の描写があった。否応なく想起したのが統一教会のやり口だ。

 現代日本の政治に繋がる病理と相似形の朝鮮半島の「やり口」。

しかしヤン監督は振りかぶるような単純な断罪を持ち込まない。むしろ自身の婚約者と段々記憶を失っていく母とのほのぼのとしたやり取りを丁寧に見せる。「それは正恩さんに頼まな」。大阪弁はこういう時シニカルかつ温かい。

 今や観光地の猪飼野地区の今昔が紹介される。ついこの間までそこにいたヤン監督の兄弟達。大阪の劇場でこの映画を観ることでより一層その「不在、永遠の不在」が目に沁みる。

 ひたすらにオモニ、オモニと呼びかけ、自らをヨンヒな、ヨンヒはなと名前で呼ぶ密接な親子の絆は濃密で暑苦しいほど。そして婚約者を見つめるキャメラは愛に満ちている。

季節を変えて何度も作られる美味しいスープで繋がる私(たち)と家族、しかしイデオロギーが招いた消せない記憶と家族分断が亡霊のようにつきまとう。

映像が私的であればあるほど北の非人道と韓国の虐殺事件という国家の理不尽が炙り出される。両親の不在と共に家から取り払われる金親子の肖像、総連関係の写真。

 平壌での母の納骨の方法を漠然と考えている、というヤン監督の最後の言葉は、辛さと哀しさ、強さと愛がないまぜになったまま解けない複雑な情感が篭って聴こえた。