「紙の月」(2014)以降、吉田大八監督の作品を観ていなかった。避けていたのではなく単に当方が不勉強だっただけである。
それでも今作は観たいと思ったのは、宣材のモノクロによって映されたというより刻まれたと言うに相応しい長塚京三の顔が目に焼きついていたからだ。こう老いたいと。
日本のジェレミー・アイアンズじゃないか。
勿論本編もモノクロだがデジタル撮影なので撮影後の処理であろう。
ルックの高潔な佇まいは、長塚演じる元大学教授そのものだ。
妻に先立たれ、一人暮らしの日常のルーティンが淡々と描かれる。音楽も抑制的。
ただ、こういう「食べる、飲む、寝る」の反復には映画の必然として「差異」が入り込む。
それは二人の女性、教え子(滝内公美)と行きつけのバーのアルバイト(河合優実)。高潔と品位を纏いながら、煩悩は暗い情念のように内心に燃え盛る。
生活のルーティンが掻き乱されると正常バイアスが働くのが「老いる」ということなのか。妄執が花開き、亡き妻(黒沢あすか)がふと現れる。
これは2025年(製作は少し前のようだが)の「ツィゴイネルワイゼン」(1980)だ。
生きている人が死んでいて、死んでいる人が生きている、私の生涯一の完璧な傑作。
黒沢清のホラーの如くパソコンの画面が奇妙に騒めく。何かが攻めて来る暗示なのだがそこからは全てメタファーなのだろう。そういえば「回路」(2001)もどこからか「戦争」がやって来たんじゃなかったか。
老いの妄執、死への誘い、消えない煩悩の末の恋の敗残。
「敵」はすぐそこにいる。身につまされ、ラストカットにはニヤリと。
佳作、お勧め。

