先ごろ観た「ダークウォーターズ」は弁護士対大企業だったがこれは弁護士対米軍組織、である。両作、構造はよく似ている。
タイトルのモーリタニアンはモーリタニア人の事。オウルド・サラヒ(タハール・ラヒム)は9.11同時多発テロのテロリストの関係者として拘束されるが、起訴される訳ではなく「理由なき」拘束に耐えている。
ほぼ実話、本編も映画的な仕掛けは殆どなくドキュメンタリーさながらの捉え方。
マクドナルド監督はドキュメンタリー出身、進行形の出来事はシネスコ、過去のシーンはビデオ撮りのようなスタンダードサイズと画角を使い分けている。
サラヒの肉体的にも精神的にも過酷な日々を身をもって演じるタハール・ラヒムの凄まじい憑依ぶり。その一方、弁護士ホランダーを演じるジョディ・フォスターの銀髪、無表情、赤いルージュ。ここに映画的イコンとして屹立したジョディ・フォスターがもたらすケミカル・リアクションが秀逸。
米軍側の検察官スチュアート・コーチ(ベネディクト・カンバーバッチ)が敬虔なカソリック教徒である事がしつこく描かれるのは「ダークウォーターズ」の弁護士がそうであるのと同じ。スチュアートが上官によってその任を解かれても信念を貫くというのもカソリック的正義の行使なのであろう。一方、ホランダーは神には傾倒しないと言う。
法の下の平等、という原則論。
artsandculture.google.com 神の下の分割すべからざる一国家。スチュアートは「神の下」の信念。
ムスリムでモーリタニア人たるサラヒが、裁判で自分の国は法が蔑ろにされているが、アメリカは違う筈、という趣旨の事を述べる。
法律の原則論と宗教的信念がもたらす裁定はそれでもきちんと行使も検証もされなかった事が終盤明らかにされる。
映画で告発することが出来る国と、法律の原則論が瓦解してしまった事に太刀打ちできないでいる国の彼我の差を嘆息するばかりである。