音楽ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』
主に加藤和彦の関係者のインタビューで綴る。
知っていたこともあり、知らなかったこともあり。
高中正義が加藤本人から教わったという「帰ってきたヨッパライ」のギターコードの解説が可笑しい。が、それを「発明」する閃きは才気以外の何物でもない。
その事は北山修によって滔々と語られる。時代を先取り、というのは戦略やマーケティングではなく主体的な活動であったのだと。
狂気の天才、鬼才ではなく、センスとブレない美意識。軽くなり過ぎず重くならないバランス。
同時代を生きた高橋幸宏の映像と言葉、音声のみ証言の坂本龍一もこの世にいない。早逝した大村憲司の姿。優雅なレコーディング風景。
加藤和彦が亡くなったのが2009年、映画というものもそうだが音楽が個人の才能と資本の幸福な結びつきによって作られていたのは20世紀までのような気がする。
彼が2009年に「絶望」を感じたのだとすればそれもまた「先取り」であったのかも知れない。映画だと伊丹十三が重なる。
流れる数々の楽曲を聴いていて、この20年日本の音楽も映画も白痴化、幼稚化の一途を辿ったのだとつくづく思う。昨今の日本映画の貧乏臭さは目を覆う。
ラストの「あの素晴らしい愛をもう一度」の2024年バージョンのレコーディングに涙する。「あの素晴らしい」時代、音楽も映画も「愛をもう一度」。
雨の日曜、劇場はご同輩で一杯。