映画和日乗

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「トリとロキタ」監督ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ at シネリーブル神戸


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 ある若い女性のベルギーでのビザ申請の為の面接からこの映画は始まる。不法移民なのか。

正面を見据えてはいるが、オドオドとした眼差し。立体感がなく、不作為に揺れる記録に徹しているかのような映像は勿論それが狙いで撮られている。

ダルデンヌ兄弟監督の最新作はいつものように観る者に「これから始まるお話しは」と語りかける体裁を取らない。目と耳を澄ませてそこで起きている事を理解して行かなければならないスリル。彼女の口から発される自国名はベナン

ベナン共和国|外務省

 これを書くために検索したが、旧フランス領で公用語はフランス語。だから彼女ロキタも、そして弟とされる少年トリも異国ベルギーの地でフランス語を話す。

 姉と弟。難民船で知り合って、本当の兄弟ではない。シチリアに着いた船。しばらくイタリアにいたのか、姉弟はイタリア語の民謡を歌う。それは歌うことで僅かな金を得る為、生きる術なのだ。

相次ぐ難民船事故 地中海で難民を救うのはだれか - SWI swissinfo.ch

↑この記事。この映画の背景が分かる。

イタリアでの人脈が「つて」になっているのかイタリア料理店の厨房で働くトリとロキタ。

トリはある理由でビザを持っているがロキタは身元が不明で下りない。従ってまともな職につけない。日本と同じだ。

厨房のコックがワル、ロキタは大麻の売人、性奴隷と言われるがままコックに従っている。ビザ取得までの辛抱と。さらに移民斡旋ブローカーがヤクザ並みのやり口で搾取する。

 ダルデンヌ兄弟の映画は少年がよく走る。自転車もしばしば操られ、時に逃げ、時に追う為に少年はペダルを踏む。

 トリは俊敏で機転がきく。嘘も方便。一方ロキタは鈍臭い。

恋人同士でもなく実の姉弟でもない二人なのに片時も相手のことを忘れない。同じ国を脱出したというだけの繋がり。二人は二人でいる時だけ笑顔を見せ、じゃれ合う。切ない。

 ダルデンヌ兄弟が描く下層の人々は総じて愛に飢えている。それでもこれまでの作品は微かに陽が差す希望がどこかにあったように思うが、本作は過酷だ。

キネマ旬報4月上旬号の特集で監督兄弟によって語られているが「私たちの映画でピストルが登場するのは初めてのことです」という言葉。これまで彼らの映画の中で被差別者達はどんな暴力にも耐え忍んできた。が、本作では銃弾によって一瞬にして彼らの忍耐は水泡に帰す。

必死に逃げる激しい動きが止まる瞬間の恐怖。

 現代の、限りなく現在に近いヨーロッパ社会に於いて移民問題を巡る暴力がかつて無いほど増長している、ダルデンヌ兄弟の「初めてのピストル」はその実感の表れなのだろう。

 リアルなタッチはドキュメンタリー調だが、構成は周到で緻密。キャメラは対象を待ち構えず、常に起きていることを後ろから追う。無駄な画はなく映画的な純度は極めて高い。

悲劇ののちの唐突なラストショットは、観終わった者に「この世界を想像する時間」を提供する。

傑作。お勧め。