映画和日乗

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「ヒトラーのための虐殺会議」監督マッティ・ゲショネック at シネリーブル神戸

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 1942年のヴァンゼー会議を描く映画はこれまでにも「謀議」(2001)というのがあった。監督が米国人でケネス・ブラナーコリン・ファースという英国人名優が出演なので見応えはあるが如何せん言葉が英語なので迫真性が削がれている印象。

 

他にもドイツのテレビ版、ドキュメンタリー版が存在するようだ。


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 さて2022年ドイツ制作の本作はそれら旧作を注意深く分析しているに違いなく、徹底したリアリズムで描く。音楽は一切なく、エンドロールまでそれは徹底している。尤も、この沈黙のエンドロールは怒りと絶望、人間のもつ根源的な邪悪への警鐘にも受け取れる。

 ここでの会議はユダヤ人絶滅の「結論ありき」。度々その暗殺事件が映画で描かれたハイドリヒ国家保安本部長官が議長を務める。

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ

 冒頭、出席者の一人が議場の外から中を覗いて会議参加者の肩書を知らされるシーンで「覚えられない」とこぼす。観客である我々もまた同様の感想を抱くのだが、会議が始まると徐々に一人一人の「立場」が見えてくる演出が秀逸。

 そのやりとりが「鳥インフルエンザに罹った養鶏の駆除」のように語られる異常。一人、何事も話さず黙々と記録する女性書記も、その記録に徹する様が不気味さを掻き立てる。ウクライナ、バビ・ヤール渓谷での大量殺戮、彼らの言葉で言うと「特別処理」も語られる。強制収容所ガス室増築はバビ・ヤールでの事態を受けての発案である事が窺える。

移動虐殺部隊 | ホロコースト百科事典

 戦後、欧米を中心に数多のホロコーストについての映画、映像はつくられ知られて来た。本作はその描写を一片も使わず、見せず、行った側の「論理」の膨大な言葉に徹する。

 ハンナ・アーレントによって「凡庸な悪」と称されたアイヒマンはここでは議題についての資料を完璧に揃えている「有能な」官僚として描かれる。

 ユダヤ人への差別意識はあるものの絶滅計画には疑義を示す首相官房局長クリツィンガーが親衛隊SSの論理に押し切られ、逆らうのを止める瞬間。

 まぁしょうがない、と自分に言い聞かせるように「国のために身を粉にして働く」と言って次の別の会議に向かう。

 彼こそが凡庸な悪であり、私たちに突きつける「同じ穴の狢」の姿である。

このクリツィンガーは戦後のニュールンベルク裁判で無罪となっているが、釈放後間もなく死んでいるとのこと。

Friedrich Wilhelm Kritzinger

 残虐な描写は一切ないのに、人間というものの愚かさに戦慄させられる。