観ている途中から板谷由夏の横顔が桃井かおりそっくりに見えて仕方がなかった。
そういえば若松孝二監督の映画で桃井かおりでホームレスが絡む話‥‥「われに撃つ用意あり」('90)か。
まだあの映画の彼らの「連帯」が新宿辺りに微かにあった時代から30余年、分断と「我関せず」の時代を描く「連帯」の時代の人、高橋伴明監督。
「われに撃つ用意あり」はもう細部は覚えていないものの、他人同士の温もりとそれを分断する勢力との闘いだったと記憶する。
中曽根ちゃん、笹川ちゃんと嘯き、宇野宗佑を持ち出す元芸者・根岸季衣、「腹腹時計」を持ち出すかつての活動家・柄本明がツリー爆弾のことを口走る、とすると「天使の恍惚」('72)か。これも若松孝二監督。
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そうか、もし若松孝二監督が存命なら「夜明けまでバス停で」は2020年の幡ヶ谷のバス停での殺人事件をモチーフにしていち早く映画化していたかも知れない、同門の後輩・高橋監督としては居ても立っても居られなかったのだろうと想像、いや妄想する。
板谷由夏の爆弾作りへの傾倒は突飛に見えて、手製散弾銃によるテロがあった事を重ねると果たして突飛ではないという現実に突き当たる。本作はあの奈良の事件が起こる前に撮影されていたはずだ。この同時代性こそが本作の投げかける石礫である。
「天使の恍惚」では破砕した爆弾は、ここでは意図的な不発で終わる。爆弾闘争の末路への悔恨を柄本明はへへへと自嘲的に笑う。爆弾は社会を変えられなかった、俺たち何して来たんだと。
エンドロールで長谷川和彦「太陽を盗んだ男」('79)を想う。
城戸誠(沢田研二)が国会議事堂のトイレに仕掛けた「梅干入りカプセル」は国家への挑発的おちょくりだったが、今やおちょくりでは効かないのだ、梅干しじゃダメなんだとあのワンカットに込められているような。
そういえば長谷川監督と高橋監督の2022年10月31日 ↓