私が台南でロケした「ママ、ごはんまだ?」(2017)の公開後、再び台南を訪れて調べたのがこの湯德章氏の事だった。
本編の後半に出て来る、湯德章の住んでいた家も尋ねたことがある。



というわけで並々ならぬ興味を持ってこの映画を観た。
日本統治時代の台湾、そして戦後の国民党進駐について台湾の人々にとっては学校で習う歴史だが、日本では知っている人とそうでない人の落差がある。
本編は台湾のクリエイターによるものなので、その点では中級、上級編となるだろう。
二・二八事件の陰惨さはここでは特に描かれてはいない。しかしこの事件故の理不尽な悲劇が綴られる。その被害者の一人が湯德章である。
杜撰な、捏造に近い裁判記録の発見はその辛さがいや増す。
日本の副題「私は誰なのか」は原題にはついていない。「尋找」は「探す」と言う意味で「湯德章を探して」といったところだろうか。
しかし「私は誰なのか」は良い副題だと思う。日本人がつい「期待する」日本統治時代ヘの恭順は薄く、むしろ台湾(母の国)と日本(父の国)の間で振り子のように揺れるアイデンティティに翻弄されて来た姿が浮かび上がる。
生き証人たる湯氏の養子の息子さんや叔母も当初は取材を避けるが制作者たちの熱心な働きかけで心を許したのかやがて訥々と語り出す。
しかしそこには国籍と政治体制に翻弄された湯氏の内心への測りかねる思いが伝わる。ましてや80年以上前、記憶も朧である。
ゴミ屋敷に住む歴史学者が面白い。常夏の台南で着たきり雀のような厚着で博覧強記ぶりを発揮する姿は「歴史を忘れてはならない」という強い信念を感じる。
湯氏の父方のルーツは熊本県にあった。湯氏の息子さんの、誰が悪いと言うものではない、と言う言葉が重い。
台南を訪れるといつも感じるのは日本統治時代を記憶の遺産として継承しようという風潮だ。
ラストで湯德章氏への当地での顕彰映像が重ねられるが、それが単純な親日という言葉に淫するものではない事を本編は静かに語っている。
それにしても台南、また行きたくて仕方がない。