映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「スーパーシチズン 超級大国民」監督・萬仁

www.facebook.com  1995年台湾作品をリマスタリングして台湾巨匠傑作選の一本として公開。日本での劇場公開はこれが初めてとのこと。

 私の映画「ママ、ごはんまだ?」でも触れた國民党政権による内省人、とりわけ知識層への弾圧が生々しく描かれる。

 '90年代。読書会に参加していただけで長い懲役を受けた主人公許(林揚)は出所後老人ホームで暮らしていたが、娘夫婦の家に戻って来る。そして旅行鞄を携えて回顧と贖罪の旅に出る。読書会のメンバーの一人を尋ねる許。彼は出所後冠婚葬祭用の楽団員になっていた。会話に混じる日本語、二人は日本軍として出征していた。管楽器で軍艦マーチを吹く戦友。日本時代への懐古は即ち國民党時代への幻滅である。

 その幻滅の時代を辿るニュースフィルムと、'90年代の選挙戦が交互に描かれる。許の義理の息子は「政治で儲ける」と選挙戦にのめり込み、贈賄で逮捕される。許がひっきりなしにテレビのチャンネルを変えていくショットが隠喩的だ。

 許は、読書会に國民党の官憲が踏み込んだ時逃げたメンバー陳の所在を拷問に耐えきれず自白してしまう。陳は逮捕され銃殺刑となった。

 許の心の棘は抜けることなく、娘に「どうして過去に生きるんだ」となじられても陳の墓を探す旅をやめない。道中、かつて自分たちを逮捕した官憲にも出会う。その男は妻子と共に屋台を営んでいた。ニコニコしながら北京語で「あんな本どうして読んでたんだ」と許に言い放つ。そして「今ではそこいら中で売ってる本だけど」と。

 ようやく許によって探し出された陳の墓はみすぼらしく、竹藪の中に捨て置かれるようにあった。ここで許が土下座して吐いた台詞は台湾人のみならず我々日本人にも重く響く。

 この映画、ラストシーンが全てかもしれない。年老いた許が見る幻想。若き頃の妻と幼き頃の娘と手を繋いで夕暮れの土手を歩く。そんな平凡が、在るべき日常が専横政治によって引き裂かれたのだ。

 大陸共産党と戦ったはずの國民党は今、習近平と手を組んで台湾の民主主義を脅かしている。奇しくも1995年の映画が訴えてくる「歴史は繰り返す」。