映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「みとりし」舞台挨拶 in 福山シネマモード

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 多数のご来席、有難うございました。終映後パンフレットにサインさせて頂くために出口付近で待機していたのですが、なかなかお客さんが出て来ない。皆さん余韻に浸って頂いていた様です。シネマモードでは12月19日まで上映中です。12月13日より名古屋シネマスコーレで二度目の名古屋公開が始まります。

www.cinemaskhole.co.jp福山駅よりのぞみ98号で帰神。

広島県福山市三之丸町3「尾道ラーメン 一丁」

新神戸駅よりのぞみ19号で福山駅着。

美味端麗。

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「プライベート・ウォー」監督マシュー・ハイネマン at Cinema KOBE

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  なかなかタイミングが合わず、ようやく新開地最終日に間に合ったどうしても観たかった作品。

 米国人で英国の新聞社で働く記者マリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)の短い生涯を描く。実在の人物であったことは自明なのだが、冒頭の彼女へのインタビューの声は、パイクではなく生前の本人のものであることがエンディングで分かるようになっている。映画は2001年にマリーがスリランカの内戦を取材するところから始まり、その際に彼女は被爆によって左眼を失う。同僚カメラマンに冗談まじりに「隻眼と言えばイスラエルのダヤン」と言うマリーは、ダヤンと同じような黒いアイパッチを装着して次なる戦場へと出掛ける。アフガニスタン、そしてイラクへ。マリーの軌跡は21世紀の世界の紛争そのものである。夫は去り、ヘビースモーカー、ウォッカ中毒。新聞社の編集長の指示は聞かず独断先行。ジャーナリストとして国際的な賞を幾度も受賞するも、戦場で見てしまった死体のフラッシュバックに苛まれる。それでも彼女を戦場に駆り立てるものは「起きていることを伝える」使命感なのかも知れない。一方で「ハートロッカー」('08)の爆弾処理班や「アメリカン・スナイパー」('14)の狙撃兵の様に平穏無事な安全地帯にいる方が生きている実感が掴めなくなってしまう一種の"戦場病"のようにも見える。

 マリーの最期の戦場はイラク戦争後の2012年の内戦。アサド政権の非道を伝えようと撤退命令を聞かずに一般市民が残されている病院へと戻る。本社への通信が切れ、使うと居場所が特定されてしまう衛星回線を使ってCNNとコネクト、渾身の言葉と映像で事実を伝える。CNNのキャスターの労いの言葉は感動的だが、暗示的でもある。そして爆撃によって命を落とす。

 何故無辜の民が犠牲にならなければならないのか、アメリカやアサド政権の背後にいるロシアの道義的責任をあからさまに問う描写は無いが、マリーのCNN中継での言葉に観る側は、しかとそのメタファーを受け止めなければならない。

 マリーが伝えようとした全てについて未だに解決がついていない、それどころか悪化している現状は昨日今日の我が国での報道からも伝わって来る。マリーの「次の人」が今日もフラッシュバックに苛まれながら彼の地にいることに思いを馳せたい。そして「エンテベ空港の7日間」('18)といい、ロザムンド・パイクの仕事から目が離せない。こんなのもある↓

www.netflix.com  佳作、お勧め。

「夕陽のあと」監督・越川道夫 at 新宿シネマカリテ

yuhinoato.com 鹿児島県、長島町という港町が舞台。鰤の養殖が盛んらしく、活気ある鰤漁の描写から映画は始まる。漁協なのか、女性達が働いている会話の中に不妊治療を諦めた、いや私は300万円使ったが駄目だった、という会話がある。この漁協の向かいには食堂がありそこに場違いに目立つ女、茜(貫地谷しほり)が働いていて、食堂の前を通る少年に「いつものように」声を掛ける。少年は彼女を「茜」と呼び捨てにしていて親子ではなさそうである事が分かる。「とわ」と呼ばれているこの少年(松原豊和)は漁協と食堂のある道を走り抜け、船着場を挟んで反対側の倉庫のような家に入って行く。それをじっと見ている茜。そして少年の入って行った家には祖母(木内みどり)と思しき女性が迎え、やがて先ほど「300万払った」と言っていた女、五月(山田真歩)が帰宅する。不妊治療の果てにこの子を産んだ訳ではないのは少ししてから分かる、では茜と呼び捨てされていた女は何故彼を見詰めていたのか。言葉での説明を極力廃して力強いショットの連なりで関係性を炙り出して行く手法に、久しぶりに出会うと言うか、映画を観ている悦びが還って来たような気持ちだった。山田真歩の、ちょっと粒立った額、ソバカスを照らす柔らかい照明、加藤泰ばりに低い位置に置かれたキャメラ。かと思うと茜と少年の距離を物語るロングショット、追いかけあう女二人、茜を押し倒す五月。「魚影の群れ」('83)を思い出す。撮影(戸田義久)が秀逸。

 一人の少年を巡っての二人の女の関係が明らかになった頃、観客はようやく役所の書類によって「とわ」は「豊和」という漢字であることを知る。五月が上京して、茜の来し方を訪ねる事で、その過去を知った五月は、気持ちに変化が現れる。茜に向かって豊和が体をくの字に曲げてお辞儀をしながら「ごめんなさい」「母と仲良くして」と願うシーンに落涙する。

 タイトルにある夕陽が、対立しながらそれぞれの幸せの在り処を必死で模索する二人を照らす時、それまで鋭く交わすされていた視線に優しさが宿る。見事だった。

 製作概要を知りたくなって久しぶりにパンフレットを買った。佳い映画を観た。お勧め。