映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「アウトレイジ 最終章」監督・北野武 at 109シネマズHAT神戸

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このシリーズ、2作目「ビヨンド」('12)が好きだった。3作目があるとは想像していなかったが旧知のスタッフとの縁で今年初め頃の神戸ロケを見学させて頂き、そのスピーディな演出と一枚岩のスタッフワークを目の当たりにして期待が高まった。ちなみに見学させて頂いたシーンは全て本編に生かされていた。
さて。ピエール瀧のヤクザ姿は堂には入っていたものの、シリーズ生き残り組、特に花菱会上層部の「動けない」不自由は否めない。一方、「ビヨンド」で惚れ惚れするほどシャープな動きだった高橋克典のようなキャラクターが今回はいない。ただ一人、金髪の下っ端組員が意外な行動に出るくだりは往年の北野映画のシャープさの片鱗を感じた。

世代交代が出来ず、人材不足という日本社会全体の課題がこの映画の構造に重なる。また「ソナチネ」('93)とところどころ重なるモチーフとシーンの存在に、まさしく北野武監督がヤクザ社会を描くピリオドでもあると感じた。

 

 

 

「エタナティ 永遠の花たちへ」監督トラン・アン・ユン at シネリーブル神戸

eternity-movie.jpノルウェイの森」以来6年ぶりのトラン・アン・ユン監督作品。撮影監督は前作に引き続き台湾の李屏賓。「ノルウェイの森」とは違うキラキラなデジタル撮影。

19世紀のフランス、裕福な家庭の三代に渡る家族の物語、いや物語はさほど語られる訳ではなくやたら子沢山で、その子供たちが戦争、病で死んでいく。更には自殺なのか事故なのかわからないような死に方をする成人も。その繰り返しと、生まれてくる赤ん坊の柔肌を愛でるかのようなキャメラでこのままどこまでこの調子で行くのだろうか、と不安になる程だが、徐々に気配として感じられる死が死を呼ぶ幽玄、あるいは死者の生まれ変わりのように生まれる赤ん坊の転生など泰然とした死生観が伝わってくる。

最小限の台詞、これから起こることを先に述べるナレーション、全編を覆い尽くすクラシック音楽。それらを愛でるしかない。エンディング近く、恋の予感ににっこり微笑む少女のアップに痺れた。

 

「ブルーム・オブ・イエスタディ」監督クリス・クラウス at Bunkamura ル・シネマ

ナチスドイツの加害者の孫と被害者の孫が、件の虐殺を研究する学会で出会い、反発し、やがて惹かれ会うというナチスの犯罪を現代の舞台に持ち込み、かつ若い世代に仮託して描くというアイデアは秀逸で、キャメラもなかなか素敵だ。しかし、ドイツ的なるものを徹底して排除するヒロインは、極東の国の観客には過剰に神経質な人にこそ見えても、笑いの対象にはなりにくい。対する男の「事情」も、だ。ウディ・アレンならと脳裏をかすめたが、つくっている監督と対象の距離が近過ぎるのかも知れない。エンディングは爽やか。

「オン・ザ・ミルキーロード」監督エミール・クストリッツァ at TOHOシネマズ西宮OS

 セルビア語映画だが、地理的には曖昧な土地が舞台。けたたましい動物たちの声、そして睥睨するハヤブサ

 豚は肉になり、屠殺された豚の血で鵞鳥は入浴し、血の匂いに満ちた鵞鳥に蝿が集る。

 ロバを脅しハイスピードで這い回る蛇もハヤブサの爪に押さえつけられる。そんな村で乳搾りをする男コスタ(クストリッツァ監督兼任)は、戦争で父を斬殺されそのショックで精神を患っている。ロバに跨り遠くの町にミルクを運ぶ道々に雨あられと銃弾が注がれ、爆撃が続く。

 泥沼のボスニア紛争がモチーフであることは自明だ。狙撃、惨殺と殺戮の限りを尽くす軍隊をリアリズムで描き、純愛を得たコスタと花嫁(モニカ・ベルッチ)は、天上の神と動物たちの精霊に守られながら逃避行をするというファンタズムで描かれる。この融合の見事さはフェリーニ亡き後クストリッツァにしかなし得ない。

力強いが哀愁を湛えたジプシーブラスは止むことはなく、爆弾の炸裂音、兵士から二人を守るハヤブサの暴風、瑠璃色の鳥たち、地雷が吹き飛ばす羊の血肉の雨が画面を隙間なく覆い尽くす。

この純愛と、それを裂く民族紛争への激しい憤りを描く猛烈に力強い筆致に脱帽する。これこそ真の反戦映画だ。久しぶりに震えるほどに感動。傑作、必見。

「エル ELLE」監督ポール・ヴァーホーヴェン at 神戸国際松竹

https://www.facebook.com/ElleTheFilm/

幼少期に父親が起こした猟奇殺人事件以来、傷つくことをやめてしまったかのような精神状態の女をイザベル・ユペールが演じる。口は悪いが他者に与えることは厭わない。だらしのない息子、欲望のまま生きる母親の要求に応え、ただ性欲を満たしたいだけの同僚の夫にもハイハイと電話一本でお供する。そして警察というものを絶対に信じず、勤務するゲームソフト会社の商品に暴力性が足りないと凄む。彼女の周りの人物は、一人の敬虔なカソリック信者の女性を除いて皆性欲過多かフェチ、そしてアホ。このような救えない人々もまた現実的には必ずいる筈で、監督ヴァーホーヴェンは旧来のコード的な倫理観を切り裂く。それはこの人のいつもの事ではあるが今回はロボットや戦争やストリッパーの世界ではなく日常性の中で描かれる点が新味。

ヴァーホーヴェン監督、御年79歳か。観る側が無意識に縛られている倫理観に弓引くパワーには脱帽。お勧め。良い子は観ちゃダメ。

「三度目の殺人」監督・是枝裕和 at 109シネマズHAT神戸

gaga.ne.jp観ている途中でジョン・フランケンハイマー監督「終身犯」('62)を思い出した。テレビで一度観ただけの映画で画を殆ど覚えていなかったが、この映画の後半ではっきりと重なるシーンがあることを認識した。キネマ旬報の特集号を読んでも誰も指摘していないが。

弁護士(福山雅治)のキャラクターは映画的には特異だが、実際にはこんな空疎な輩は存在しそうだ。そのあたりは是枝監督の描写力が光る。万引き犯の実の娘を咎めるでもなくなあなあで済まし、放ったらかしにしていた自分が悪いとさえ言って娘に謝る。裁判のシュミレーションに正義を持ち込もうとはせず、ひたすらに減刑へのスキームに拘る。一方前科があって、二度目の犯行として囚われている男(役所広司)はくるくると証言を変えるもサイコなイメージはなく、誠実な凡人に見える。映画は徐々にこの男の証言によって殺人事件の真相が見えにくくなって行く。黒澤明監督「羅生門」('50、真相は藪の中)、「悪い奴ほどよく眠る」('60、イノセントな足の悪い女)「天国と地獄」('63、ガラス越しの犯人と被害者の対峙)と引用もミルフィーユ状に重ねられているように思う。

さて、では誰が犯人なのか。大の大人を鈍器で殴って殺し、ガソリンをかけて火を放つ。あの子が?いやあの女が?そうするとやはり‥‥。私達はこの映画のどこを観ていたのかを試されることになるが、四叉路に立ちすくむ弁護士という裁判判決後の描写に戸惑いに近い食い足りなさを覚える。

 

「新 感染 ファイナルエクスプレス」監督ヨン・カンホ at 神戸国際松竹

shin-kansen.com新幹線大爆破」('75)の犯人がゾンビの大群だったら、いや単純にそうはくくれないモチーフだがノンストップ、これでもかと繰り出す危機の連続に父娘愛、夫婦愛を差し込んだ見事過ぎてあざとくてもOKな伏線。キャラクターの描き分けもしっかりしているし、天才的な子役にも感服。そして観ている途中から気がつく北朝鮮との関係。必死の思いでゾンビから逃げてきた人々を「感染している」と隔離するくだりは脱北者の扱いのメタファーだろうし、離れ離れになってしまった姉妹が壮絶な最期を遂げる、あの妹の台詞は南北離散家族の悲劇を想起するのが自然だろう。結局いかなるウィルス感染によってこんなことになっちゃうのかはよく分からないがどうでも良いくらい針の振り切れたテンション。
てんこ盛りゲップが出るほどの詰め込みようだが、チープなCGで地球の危機を描く我が国の映画に比べるとビジネスとしての映画製作の健全さは彼の国に軍配が上がらざるを得ない。まずJRではこの撮影は絶対無理! 傑作、お勧め。