映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「散歩する侵略者」監督・黒沢清 at 109シネマズHAT神戸

sanpo-movie.jp蝉の声がしきりにするのに冬のようなルック。登場人物の服装も季節を推し測れない。警察官のジャケットに静岡県警とあるが静岡なのかどこなのかは分からない。人間が信じ込んでいる概念を一瞬にして吸い取る宇宙人と称する連中。映画は開巻から既に季節や場所の概念を丁寧に消し去っている。

が、しかし地球人(というか悲しいことに全員日本人)と侵略者たる宇宙人の闘いは狭く、小さい範囲だ。この日本映画という概念は崩れない。

ゴッドファーザーPART II」('74)の、キューバ革命が起こった瞬間に大晦日のパーティ会場に隊列をなして踏み込んでくる軍隊とそっくりなシーンが出てくるが、あれがやりたかったんだろうな。軍隊を映す、ということを。勿論黒沢監督は政治的意味合いは限りなくゼロに近いと思われるが。

笹野高史、笑える官僚役。全体のルックといい映画技術論に徹している。パンデミックに冒された群衆、爆発や火炎と言ったCGが悲しい。この次に観た「新感染」と比べるとそれは火を見るより明らかである。

「ベイビー・ドライバー」監督エドガー・ライト at 109シネマズHAT神戸

www.babydriver-movie.comウォルター・ヒル監督「ザ・ドライバー」('78)が好きな映画人は多いようだ。

「ドライヴ」('12)というあからさまなオマージュがあった後にまだやるのか、と思ったのが観る前、始まったらベースは「ザ・ドライバー」ながら「現金に体を張れ」('56)で「ミニミニ大作戦」('69)で「ヒート」('95) で「ゲッタウェイ」('72)だった。

ちなみにキューブリックの「現金に体を張れ」はタランティーノの「レザボア・ドッグス」('92)のベースだ。

そんな訳でエドガー・ライト監督がタランティーノに勝るとも劣らぬ犯罪映画マニアであるのは自明なのだが一味違ったのは音楽のセンス。リズムやビートに映像の方を合わせるというMTV仕様。一方でルックは随所にクラシックなゆったりとした画の構えと編集を随所に盛り込んで来る。

映画の趣味と、青年の孤独と挫折とピュアな恋というクラシックなテーマを音楽で増幅させるテクニック。ペキンパー「ゲッタウェイ」のラストと同じシチュエーションにサイモン&ガーファンクルの「ベイビー・ドライバー」を載せるセンスにビリビリ痺れた。

傑作、お勧め。IMDbで見つけたこの記事

www.imdb.com何のことはない、自分の好きな映画を本作にぶち込んでいることをバラしているようなものだ。

 

「夜明けの祈り」監督アンヌ・フォンテーヌ at シネリーブル神戸

https://www.facebook.com/Lesinnocentes.lefilm/?pnref=story

1945年12月の、ポーランドのどこかの修道院が舞台。

微かに色を纏ったかのような黒と白の世界。修道衣の白と黒、陽の当たらない修道院の暗がりの黒と、壁ひとつ外の世界の白銀と。この、溜め息の出るように精緻で美しいルック(撮影監督カロリーヌ・シャンプティエ)は、極上の美的センスと共に気迫が漲っている。

疾病兵士(何軍の兵士なのかがよくわからない)を治療するフランス赤十字に「急患を診てくれ」と訪ねて来る修道女の一人。それをポーランド人は治療しない、と断る看護師(ルー・ドゥ・ラージュ、好演)が暫く後にふと窓外を見ると、極寒であろう雪降る土地に跪いて祈る先ほどの修道女の姿。看護師の心を翻意させるその映画的瞬間に涙が出かかる。

カソリック修道院の戒律と、現実に起こった修道女たち七人の妊娠。折り合いをつけようと論理性を探る修道女と、当然の人道主義から突き崩して行く看護師。

シスター長が処する、戒律と組織を保持する為の行為は、一見、キリスト教の戒律の欺瞞と非合理を突いているように見えるが、私はこのシスター長の心の奥底に睡る女の業の覚醒と受け止めた。妊娠が戒律に触れることよりも、自分が妊娠しなかった事と、七人が妊娠したことを比較しての意識的か無意識的かは別として、嫉妬ではなかったか。ネタバレになるので伏せるがシスター長はもう一つ背負わされる宿痾によっても、それは暗い炎として示される。

佳作、お勧め。

「君はひとりじゃない」監督マウゴルザタ・シュモウスカ at シネマート心斎橋

https://www.facebook.com/bodycialo

2015年のベルリン国際映画祭監督賞受賞作。

国際映画祭向けに「狙っている」感は否めないが、現代ポーランド社会の一端を見事に切り取っている。子を失い、大きな犬と暮らす孤独なセラピストの女性が、住んでいる団地の一角で目撃する抱擁してキスし合う若い男女。通り過ぎて、また戻ってじっと覗き見る。男は軍服姿で腕章にドイツの国旗がチラリ。そのセラピストの勤める療養所に集う、摂食障害でやせ細った女性たち。その無表情。かつてナチスに虐殺された女性達と、時代と理由は変われど同じような表情をしている。その中の一人が、監察官の父と暮らす味気ないアパート。二人で見ているテレビ番組は、キリストがユダヤ人だったかどうかの論争を映している。これらは全て繋がっているように思えた。

そしてこの映画に絶妙のタイミングで顕れるここにある世界と、もう一つの世界の繋がり。予備知識なしに観た方が絶対に面白い、もう一つの世界。

全ての登場人物の顔、よくここまでこだわって集めたと感服する程の、現代ポーランドを纏った寂しげな顔達。

佳作、お勧め。

 

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「私は、ダニエル・ブレイク」監督ケン・ローチ at パルシネマしんこうえん

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ダルデンヌ兄弟の映画で欧州の貧困を知る。そしてケン・ローチのこの昨年度カンヌ最高位作品で英国の貧困を知る。この映画とEU離脱は無縁ではない。低所得者層、いやここで描かれるシングルマザー家族は飢えてすらいる、そんな彼ら彼女らの求職は切実だ。移民に職を奪われ、他国に産業を奪われているという主張は、それが正しいかどうかはともかく、彼ら彼女らの心情に芽生えるのはこの映画を観ると理解出来る。勿論、主人公ダニエル(デイブ・ジョーンズ)はそんなことを一言も言わない。彼の怒りの矛先は黒澤明監督「生きる」('52)の比ではないくらいに酷い彼の国の官僚主義であり、国家の納税者への尊厳無視だ。ダルデンヌ兄弟には徹底したリアリズムだけではなくそこはかとない寓話性がある。が、ケン・ローチは非情だ。弱者に鞭打つ。そしてこの映画は怒っている。英国に、世界に対して。怒っている映画は久しぶりのような気がする。万引きのエピソード、巧い。

佳作、おすすめ。

 

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「彼女の人生は間違いじゃない」監督・廣木隆一 at シネリーブル神戸

東北大震災を扱った映画はドキュメンタリーを中心にそれこそ星の数ほどある。その中で廣木監督自身が執筆した小説として先行していたという本作のこのタイトルが潔い。

冒頭、早朝と思しき林道の、正面からのロングショット。車のヘッドライトに浮かび上がる、数十人の放射能防護服姿。場所も状況も瞬時に認知できる秀逸なショット。そこから、いくつかの、報道などで見知ったエピソードを纏った登場人物の日常が描かれる。被災地から東京に風俗嬢やアダルトビデオの出演者として働きに出る女性について、何かの記事で読んだ記憶があった。恐らく、廣木監督は一つ一つ、一人一人のバックボーンやエピソードを丁寧に取材したのであろう。

キャメラは人物のアクションに対して追いかけるように動き、捉える。待ち構えたところで人物が入って来て動き出すというフィクション性を排除する事で誠実にエピソードに向かい合う。また反対に出来事が動かない時点ではロングショットで定点観測のように構える。

彼女(瀧内久美)の、東京でも福島でもそこにいる居心地の悪さから解放されたような、長距離バスの中の表情を執拗に捉えるキャメラは語る。人生は間違いじゃない、がこのままで良い筈はない。勝手な解釈かもしれないが。

勝手な解釈ついでだが、ラストの震災直後のビデオ映像、廣木監督自身が回したものなのではないか?全篇のどこかにそれを挟むのではなく最後の最後に入れた、その強いこだわりを感じる。違っていたらごめんなさい。

 

 

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「カフェ・ソサエティ」監督ウディ・アレン at 宝塚シネ・ピピア

最近2本ほど敬遠していたウディ・アレン作品だが、撮影監督がビットリオ・ストラーロと知って(初コンビ)断然観たくなった。

主人公のルックスは冴えないが弁舌と如才なさに才を発揮するウディ・アレンそのままなボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)がデートに成功する相手ヴォニー(クリスティン・スチュワート)を初めてホテルの自室に連れ込む、いざと言う時に停電、部屋に夕闇の光が差し込む、鳥肌が立つほどの美しいデジタル撮影だ。お話は「ラ・ラ・ランド」('16)と似たようなちょっとしたすれ違い、選択の違いの結果、結ばれなかった二人のビタースィートラブなんだが、我らがアレン、場数が優っているだけに完成度はこちらの方に軍配、いや世代(と色恋の場数)で評価は違うだろうが。

この美しい撮影を堪能するには断然映画館、愛おしい佳作、お勧め。

 

暗殺の森 Blu-ray

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