映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせガール」監督・大根仁 at 東宝関西支社試写室

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出会う男すべて狂わせガールとはいえ、狂う男のタイプは限られているようにも見える。総じて極めて現代ニッポン男児的幼児性が共通項で、狂わせガールのあかり(水原希子)もまた知性や狂気も感じさせるパーソナリティでもないので手玉に取っている風には見えない。「モテキ!」('11)「SCOOP!」('16)と'80年代テイストがホームグラウンドだと思わせていた大根監督、今回は'90'sの雑誌メディアがまだ花形だった時代をサクサク切り取る(設定はネット炎上とLINEがもの言う現在進行形だが)。

上っ面のトレンド追っかけぶりと流されて行く人々を嗤う批評眼はシャープ。

一皮剥けば幼稚な恋愛にジタバタする男達、微かに同情するのは松尾スズキ演じる編集長、何ともご同輩の命短しぶり。

クスクス可笑しい楽しさ満載だが、賞味期限あり、かな。9月16日公開。

 

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「いのち・ぼうにふろう」監督・小林正樹 at シネ・ヌーヴォ

資料室 |東宝WEB SITE

1971年俳優座=東宝提携作品。

脚本は仲代達矢の奥さんだった隆巴、そのせいか前半は舞台調。のちに無名塾で実際に舞台化されている。今では考えられない素晴らしいオープンセット(美術:水谷浩)の深川亭なる「一見さんお断り」の居酒屋の中で物語は進行していく。仲代達矢の、所謂仲代達矢たる外連味、いつ刃を抜くのかと思ったら終ぞ抜かなかった勝新太郎

この深川亭の舞台から外に出て、これまで数限りない犯罪に手を染めてきた男たちが、見たこともない一人の娘を女郎屋から助け出す為に「命棒に振る」闘いが始まるあたりから映画が躍動する。右に左に、縦に横にと流れる無数の御用提灯の美しさ。

'71年といえば勝新大映が倒産、日活がロマンポルノに移行した年。日本映画が縮小へと向かう節目の時代に、これだけ見応えのあるお腹いっぱい映画を楽しめた最後の徒花のような映画。

 

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「マンチェスター・バイ・ザ・シー」監督ケネス・ロナーガン at 塚口サンサン劇場

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Manchester by the sea そのままこれが地名なのだそうである。

冒頭、美しい川を往くボートで交わされる大人と子供の会話。どうやら親子ではなくおじさんと甥っ子の関係らしい。どうということのない会話。そこから雪の季節の別の町へ。冒頭のボートのシーンと一見無関係な、一人の男の雪かきの様子。水道工事の仕事、そして何度か雪かきがリフレインする。偏屈で無愛想なこの男が、冒頭のボートの釣り人であることは後ほどわかる。無愛想で常に不機嫌なこの男、リー(ケイシー・アフレック)の現在と、家庭を持ち、陽気で無駄話が際限ない彼の過去の日々が交互に描かれ、やがて彼の心を閉ざしている理由へと突き当たる構成が見事。

喪失と不在がもたらす心の有り様を丁寧過ぎるほど丁寧に描くロナーガン監督。リーの兄、ジョーが心臓発作で死んだあと、一人残った長男(つまり、ボートに乗っていたリーの甥っ子)が、父の死の直後にもかかわらず平然と日程をこなして過ごす不可解が、不可解でなくなる瞬間(冷凍庫の鶏肉のくだり)に息を呑んだ。

ちょっとショーン・ペンの「インディアン・ランナー」('91)を思い出したが、ペンのナイーヴさに比べるとこの監督は俯瞰的で精神医学的だ。

企画不足で行き詰まっているアメリカ映画の表現の領域の幅を広げたと言っても過言ではない佳作。脚本と主演男優でオスカー獲得は納得できる。お勧め。

 

「未来を花束にして」監督セーラ・ガヴロン at パルシネマしんこうえん

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1910年代のロンドン、クリーニング工場で働く女工達。あからさまな人権蹂躙が描かれるも、それは今の時代からすれば、との注釈がつく。当時は当たり前で憲法上女性の人権は著しく抑制されていた、ということがよくわかる。

そんな中、参政権を求めて立ち上がる女工達は度重なる官憲の弾圧にも屈しない。薬局を営む女性は爆薬を作り、テロ行為にも走る。彼女らが信奉する人権活動家、パンクハーストを大御所メリル・ストリープが演じ、ここぞと名演説をぶつ。ヒロイン、モード(キャリー・マリガン)は子供の頃から働きづめ、工場長のセクハラに耐えている。夫は職を失いたくないばかりに妻を守らない。活動にのめり込むモードは夫の逆鱗に触れ、一粒種の長男(演技巧い)に会わせてもらえなくなり、やがて養子に出される。八方塞がりの彼女達の活動は、ある一人のメンバーの行動で攻勢が逆転する。

キャメラ(Eduard Garu)が素晴らしい。IMDbのスペックデータによると16ミリでの撮影。時代感がよく出ていた。そして編集(Barney Philling)も秀逸。

ラスト、女性の人権が向上する過程をテロップだけで説明しているが、モードと養子に出された長男が再会できたのかどうかを描かないと映画的には締まらないのでは、と。こんな大変な時代があって、勇気ある行動が変革をもたらした、という歴史教室としては立派な作品。

 

 

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「ハクソー・リッジ」監督メル・ギブソン at 109シネマズHAT神戸

ハクソー・リッジ(字幕版)

ハクソー・リッジ(字幕版)

  • 発売日: 2017/10/04
  • メディア: Prime Video
 

 

 旧約聖書を底流にそこはかと流すスピルバーグを始めとして聖書乃至キリスト教的理念を「隠しつつ」描く映画は少なくない。イーストウッドに於いても聖書の理念に苦悶し、疑い、それでも信じる(しかない)というプロセスをベースにしている作品が多い。しかしメル・ギブソンは隠さない。ストレートにキリスト教原理主義的理念を見せつける。本作の題材はもう彼にしか描けないであろう、そっちの世界の勇者の物語だ。
太平洋戦争開戦直後の旧き佳きアメリカ東部の田舎町の、ある家庭の人となりを描く前半はオーソドックスを通り越して古めかしい演出ぶりだが、この「前振り」は後半の、打って変わって「情熱的」な沖縄戦の描写に呼応している。ギブソン監督は激しい白兵戦を、見たこともないアングルで切り取り、容赦がない。こんなにゴロゴロと無残に破損した米兵の遺体を延々と映し続けたアメリカ映画が嘗てあっただろうか。

 日本兵に残虐に刺殺される米兵、それは必ずやり返され「あいこ」の勝負にする演出ではたと気付く。前半の「アメリカの田舎」は、演出であると同時にそこに住んでいる人々、つまり都会に住む米国人ではない米国人=多くのキリスト教原理主義者の観客に向けてこの映画が作られていることに。
戦場描写の技術論で言うとギブソン監督の手腕は巧まざる名手であることはこの映画で証明された。一方で地下壕でまるでひと仕事終えて飯でも食うか、という感じの日本兵の描写や、ライトバッチリセット丸出しの「様式美」で描く将校の切腹には、やれやれ、である。しかしだからと言ってダメな映画ではない、と思う。

 

 

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「20センチュリー・ウーマン」監督マイク・ミルズ at 神戸国際松竹

www.20thcenturywomen-movie.com

マイク・ミルズという人は私小説映画作家らしく、今作は実の母親のことを描いているとのこと。舞台は1978〜79年のカリフォルニア州サンタバーバラ。その頃50歳代だったドロシア(アネット・ベニング)とその息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の生活は相当ヘンテコで、実の娘ではない二人の女子と自分のパートナーの男を居候させていた。議論好きで進歩的だが、息子の「性の目覚め」にはうろたえ、教育を放棄しかける。ゆったりしたクローズアップとフィックスを多用するショットにアンビエントな音楽が重なり、そのリズムが頑迷なままに貫かれる為、やや眠い。

脚本も、詰まる所同じ結論なのではないか、という議論が繰り返されるので刈り込めるのではと思ってしまった。エンディングは爽やかだが、全体のルックはやや気取り過ぎか。とまれ、お金はかかっていないがこういう企画が実現するのは羨ましい。

 

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