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IMAXスクリーンで鑑賞。
180分観終わって一体どこから切り込んで書き残そうかと考えたところで「まだ一度観ただけでしょう」とノーラン監督がほくそ笑んでいるかのような重曹的で多面的な第一級の作品だ。
少し前までは最新の映像テクノロジーを駆使してハリウッド娯楽映画のジャンルに革新をもたらし、進む後には草木も生えない状態にしていたのはスピルバーグだった。
その彼が「ウエスト・サイド・ストーリー」(2021)以降「降りて行く道」を選んだ今、その任はこの人、クリストファー・ノーランに委ねられた、その決定作と言えよう。
故大森一樹監督がかつて「日本の原爆開発」について企画開発をしていた頃があり、飲み屋で同席した折に「シャドー・メーカーズ」('89)という日本未公開作品の存在を教えてくれた事があり、すぐにDVDを買って観た。
「オッペンハイマー」と同じく、マンハッタン計画を描いていて、同作ではマット・デイモンが演じていたグローブス将軍をポール・ニューマンが演じている。
「オッペンハイマー」の予習復習にはもってこいの作品だが、この映画が未公開なのは、「オッペンハイマー」の公開が遅れた事と無関係ではないと想像する。
さて。
若きオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)が担任教授に叱責された腹いせに青リンゴに青酸カリを注射して教壇に置く。
冒頭のユニヴァーサルの、お馴染みの地球が回るロゴから既に「地球」というもの、地球に住む「人類」というものが物語全体の一番底の部分にモチーフとして設られているように思えてならない。
青リンゴに青酸カリもまたそのメタファーであり、怒りに任せて注射、は戦争を指すと想像する。
ラスト、ついには地球がメラメラと森林火災のように燃えて行くカットでその思いを深くする。
物理学という知性が大量殺戮という反倫理と結び付き、戦争犯罪という反知性が「国を守る」という倫理にすり替わる恐ろしさ。
そのすり替わるポイントのまん真ん中に佇むオッペンハイマーを画面いっぱいに捉え、周りの情景のフォーカスをぼかして滲ませる事で表わされる罪を意識する男の孤独。
「アマデウス」('85)のサリエリとモーツアルトを想起させるストロース(ロバート・ダウニーJr.)のオッペンハイマーの才能への嫉妬。ストロースの悍ましさ、そしてオッペンハイマーの仲間達の保身から来る裏切り。
ここには人間というものの原罪が通底している。さすれば、あの教壇の青いリンゴは、旧約聖書「創世記」のアダムとイヴに通じると考えるのは穿ち過ぎか。
従来のノーラン作品のルービックキューブのような幻惑的多面性を更に深化させ、圧倒的サウンドは観る者の神経を刺し、光の眩しさは被曝の恐怖を疑似体験させる。
そしてオッペンハイマーが幻想の中で思わず足で踏んでしまう黒焦げの死体に思いを馳せよう。
俳優は全員最高レベル。この中に「フルメタル・ジャケット」('87)のマシュー・モディーン、「戦場のメリークリスマス」('83)のトム・コンティが。
'80年代に戦争を描いた映画の名優達がいるのはノーランによる恣意的な選択だと思いたい。
「オッペンハイマー」それは体感し、思考する映画。必見。