映画的日乗

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「燃ゆる女の肖像」監督セリーヌ・シアマ at 宝塚シネ・ピピア

www.imdb.com フランス語が聴こえるが、そこがどこかなのか場所は分からない、いつの時代なのかも正確には分からない。

 島を目指す小舟に乗った女性マリアンヌ(ノエミ・メルラン)が海に落としてしまったキャンバスを追ってザブンと海に飛び込む。この女性のキャラクターを一発で示すアクションにこれはタダもんやない監督だと居住まいを正す。

 画家と、肖像画のモデルを巡る眼差しと見つめる力についての映画である。隅々まで神経の行き届いた西洋絵画の構図を踏襲したルックは最後まで揺るがなかった。

 何故女しかいない島なのか、その説明はない。そう、まだ写真が発明されていない以前の時代にそんな島があったのだと思おう。思え、というシアマ監督のこの世界への強引な誘い。

 母と娘、そして召使い。娘エロイーズ(アデル・エネル)は見合い結婚を控えており相手方に送る為の肖像画を描いてもらうようマリアンヌに依頼していた。エロイーズには姉がいたが海に投身自殺したらしい。

 マリアンヌは浜辺にいるエロイーズに会いに行く。エロイーズは肖像画を描かれる事を拒んでいる。エロイーズの正面をなかなか見せないシアマ監督。そして絶妙のタイミングで露わになる金髪の後ろ姿。やはりタダもんやない、確信する。

 マリアンヌはエロイーズを観察だけで描こうとする。しかし仏作って魂入れず、その画を見たエロイーズはモデルになる事を了承する。そしてエロイーズもまたマリアンヌの一挙手一頭足を観察していた事を告白する。恋の始まり。

 やがて訪れる萌えるような蜜月。しかしマリアンヌが肖像画を仕上げるということはエロイーズの見合い結婚が近づくという事であるという皮肉。

 長女の自殺の理由が、女の人生が見合い結婚だけしか選択肢がない閉塞した貴族社会にあったこと、また召使いが女しかいないはずの島で妊娠している事などが観客の洞察力に委ねられている事に気付く。野暮な説明を一切しないなんと豊穣な映画体験であることか。

 波の音と風の音しかしない映画空間、召使いの堕胎の後、夜の浜辺の祝祭に出掛ける三人。

 不意に聴こえるアカペラの合唱と踊りに総毛立つほど見惚れる。

 望まない妊娠はひとつの死を招き、完成した肖像画を運ぶ男は恋の成就を奪う。男は常に禍をもたらす存在でしかない。

 ラスト、貴族の嫁エロイーズと邂逅するマリアンヌ。ただ見つめるしかないマリアンヌ。演じるノエミ・メルランの一貫して鋭く力強かった視線が、ふと諦観に満ちた哀しみを湛える。見つめられても決して目を合わさない嗚呼貴女は人の妻。そこに最高音質でビバルディ「四季」の夏。

 映画を見ながら二度三度総毛立つなんて稀有な体験だ。

 傑作、完璧に私好みの映画。

   祝祭のアカペラの曲、繰り返し聴いてしまう。

La Jeune Fille en Feu (Bande originale du film)

La Jeune Fille en Feu (Bande originale du film)

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