映画和日乗

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「ベネデッタ」監督ポール・ヴァーホーヴェン at シネリーブル神戸

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 クレジットが出る訳ではないのでどんな時代の話しなのかは咄嗟には分からない、が勿論「むかしむかし」のお話し。登場人物の言葉がフランス語なのでフランス文化圏が舞台だと思ったらどうやらイタリアらしい。本作の国籍(資本)はフランスだからという事もあるだろうが、ある種の架空性を高める為の仕掛けのようだ。

 というのもキネマ旬報3月上旬号に掲載されているヴァーホーヴェン監督インタビューによると、脚本家がフィレンツェの文書館で発見した17世紀の宗教裁判の記録が基になっているとのこと。つまり実話で、それはエンドクレジットに示された「その後」からも窺える。

 それはカソリックの一大破廉恥スキャンダルだった訳だがヴァーホーヴェンがリアリズム作家ではないのは周知のところで、本作もらしさ全開、枯れたところがない。かつてスコセッシの「最後の誘惑」('88)は上映禁止運動が起きたが、本作もシンガポールでは上映禁止らしい。

 開巻から、屁に火を付ける芸人、野盗の眼窩に落ちる鳥のフンとお下劣満載のヴァーホーヴェン節が迸る。

ベネデッタ(ヴィルジニー・エフェラ)が性欲を感じると現れる蛇、その蛇を退治するキリスト、がそのキリストが十字架に掛かった自分の手に触れろとベネデッタに命じるご都合主義。人間の自然な情動を押さえつける新約聖書の不条理を嗤う。

 厳格で清廉な筈の修道院もドロドロとした権力闘争があり、性欲を巡る葛藤は崩れて倫理はすっ飛ぶ。同じくカソリックへの懐疑を作品の中に常に匂わせていたクリント・イーストウッド主演の「白い肌の異常な夜」('71)を思い出した。

 極め付けは木彫りの聖母マリア像の下半分を削ってディルドーに。処女受胎神話への懐疑、というかそんなのウソやん、というメタファーか。真面目なスコセッシよりキツイおちょくり。

 胡散臭い「キリストの嫁」ことベネデッタ(ヴィルジニー・エフェラ)とおよそ修道女など務まりそうにないバルトロメア(ダフネ・バタキア)は身も心もタッグを組んで、修道院長(シャーロット・ランプリング)をその座から追い落とすが、実は彼女達の頭上には更に汚い「男社会」が覆い被さっている事がこの一見見世物チックな騒動の底流にあるテーマであろう。

 ネタバレは封じておくが、そんな男社会の欺瞞にシャーロット・ランプリングが渾身の一擲を放つ瞬間が痛快。

 ラストの神々しい二人はアダムとイヴの創世記の時代から現代の価値観への進化の象徴か。

 ヴァーホーヴェン、これを撮っていた時は81歳だった、恐るべしその才能のスタミナ。バランス良く整った作品ではないものの下品上等、オモロい!